木蘭のその芳しき | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

日記を更新する。

 

今回は小さなトピックについて色々書いていくいつもの奴をやっていく。

 

どうでもいいことなのだけれど、僕は結構、自分が書いたものに追記で補足や訂正を行っている。

 

大体、漫画の解説以外は月に三つくらい色々書いていて、確かめたら先月と先々月は三つの記事のうち、二つに追記を入れていた。

 

けれども、漫画の解説以外の記事になると、記事の一覧で先頭に来ているやつ以外は殆ど読まれていないのが実際で、追記してもあんまり意味ないんだろうなとは分かりつつ色々追記して書いている。

 

とはいえ、そもそも自分が読みなおすために書いているということを思い出して、それだったら何も問題はないのだから、これからも陰ながら追記をして行きましょうね。

 

とにかくやっていくことにする。

 

・じーごーくー、じーごーくー、素敵な地獄

時々、本来的に仏教には地獄という概念がないというような言及をネット上で見ることがあるけれど、原始仏典の最古層と言われる『スッタ・ニパータ』に地獄に関する言及があるし、『ダンマパダ』でも同様だし、同じく成立の古いとされている『イティヴッタカ』にも地獄に関しての言及があるんだよな。

 

おそらくそのような言及は、世俗的な浄土真宗の経典である『阿弥陀経』などの"平易な"経典にはそういった死後の世界の言及が多くて、『倶舎論』とか『般若心経』などと言った"哲学的な"経典だとそういう話が少ないとかそういったことがあって、そういうのを前提に色々言っているのだと思う。

 

でも実際のところ、地獄の観念は原始仏典の時点で存在していて、仏教だとそういう風に事実と異なる理解が敷衍していること多いよなと思う。

 

以上。

 

ネット上だと、仏陀の頃の仏教は哲学だったとか、仏陀は死後の世界について語らなかったとか、仏教には本来的に地獄は存在しないという言及を見ることが時たまある。

 

けれども、それらの言及は実際に原始仏典で言及されるところの仏教の教説と合致していない。

 

…まぁその話は今までこのサイトで幾度となくしてきたから、今更の話でしかないのだけれど。

 

原始仏典を読んでいても哲学的な話は注釈を除けば皆無だし、原始仏典だと死後の世界についてかなり語られてるし、原始仏典の中の更に成立の古いと言われているテキストの中でも、地獄についての言及は散見出来る。

 

「333 神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごしたひとは地獄に堕ちて悲しむからである。(参考)」

 

これは原始仏典の中でも成立が古いと言われている『スッタ・ニパータ』の文章で、本来的に持っている岩波文庫版を引用するのが望ましかったけど、部屋の何処にあるか分からなかったので、とりあえずネット上に存在していた訳から持ってきた。

 

同様に『ダンマパダ』にも地獄についての言及がある。

 

「三〇六 虚偽を語るものは地獄に落ちる。また〔自分で〕やっておきながら、「わたしはやらない」というものも〔地獄に落ちる〕。これら悪い行いをした人々は、両者ともに、死後あの世(地獄)において同等である。(辻直四郎他訳 『世界文学大系4 インド集 』「真理のことば(ダンマパダ)」 筑摩書房 1959年 p.153)」

 

このように『ダンマパダ』では嘘をつく人間や自分がやったのにやってないと言い張る人間は地獄に落ちるという言及がある。

 

まぁ現代日本でも、そういう風に自分がやったというのにやってない風を装って、虚偽の報告をするという行為は普通に嫌悪の対象なのであって、その辺りはインドでも同様で、それが故にそういう行為をした人間は地獄に落ちるとされているという話だと思う。

 

自分を守るために咄嗟に嘘をつく人間なんて信頼できないから地獄行きも妥当なんだろうな…って。

 

こういう風に原始仏典の成立の古いものに地獄についての言及はあるし、成立が古いと言われている『イティヴッタカ』には、教団を分裂させたデーヴァダッタは地獄に落ちたという言及があったし、他の原始仏典を読んでいても、時々地獄の話はされている。

 

仏典の成立時期なんて専門家ですらはっきりと分からないのだから、どれが新しくてどれが古いのかなんてある程度の目安レベルだけど、まぁ古そうなのも新しそうなのも含めて地獄に関しての言及があって、少なくとも仏教に地獄という発想がないという事実はない。

 

上等な仏典には地獄についての言及が多くないという話はおそらく、仏教哲学には地獄に関する言及が少ないという話が元だと思う。

 

仏教は色んな人が色んなことを仏陀の言葉という設定で書いていて、そのスパンは千年二千年レベルで色んな人が書いているから、色んな事が書かれた経典が実際存在している。

 

その中で、紀元前に成立したであろう原始仏典の類にはあまり煩瑣な学説は多くないということが僕の観察で分かっている。

 

原始仏典の中では哲学的な議論は皆無で、瞑想の諸段階や魂の有無に関する議論なら少し難しい…というかめんどくさい話が入ってくるけど、原始仏典自体にはそういう難解な話は多くない。

 

けれども、付随する注釈には哲学的な議論が沢山ある様子がある。

 

まぁ現在でもテキストの深読みは良くある話で、創作物をデリダの思想に則って色々考察するような物や、エヴァをポストモダンで解き明かそうとするような妄想家はかなり多くいて、そういう人は仏教でもやはり存在していたらしく、注釈書にはそういう哲学的な話が書かれている様子がある。

 

僕は書いてない話をする人が大嫌いなので、当然、そのような仏典の注釈も大嫌いだし、ウパニシャッドに注釈を入れたシャンカラの言葉も取るものはないと思っているし、漢籍の後世の注釈にも多くの場合重要な価値がないと判断している。

 

一方で原始仏典より遅く成立した大乗仏典だと、小難しい注釈書が存在するのはそうである一方で、そもそも大乗仏典は小難しいものが多い。

 

普通のイメージだと、原始仏典が哲学で、大乗仏典が大衆向けという感じがあるかもだけど、実際は大乗仏典の方が哲学的な話は多い。

 

その大乗仏典の中にも難しいものと平易なものがあって、おそらく、上等な仏典には地獄に関する言及が多くないという言説は、そういう難しめの経典の話から来ているのだと思う。

 

大乗仏典にはそういう風に煩瑣な経典もあって、例えば如来蔵経系の仏典は読んでいて実に苦痛でしたね…。

 

 

だってこんな小難しい話頑張って理解したところで、それは仏陀の言葉じゃないわけで、それを覚えてどうするんだ、これを読んで何を得るんだという気持ちが強くて、更に小難しいから理解するのも大変で、ただひたすら苦痛でしかなかった。

 

まぁこの本で収録されたものの中の数編しか読んでないけど。

 

一方で明らかに大衆向けで、祈れば救われるという内容の経典もあって、『大無量寿経』や『観無量寿経』などはそういう内容だったと思う。

 

 

 

 

そういう大衆向けの分かりやすい経典がある一方で、難解な経典もあって、そういう経典では「そんなんしたら地獄に落ちるよ」って話は多くなくて、そういうのを言って、地獄なんて布教用の方便だという言及があるのだと思う。

 

今書いているこの文章自体は、とある方の地獄なんて方便だと言っているツイートをチラチラ見ながら書いています。

 

実際、『般若心経』などは如何にも観念論的な内容で、この世界の全ては空だと語る内容になっていて、そのような教説だと地獄という概念が入り込む余地はない。

 

死後の世界も今自分が考えているという行為自体も空なのであって、そうであるなら地獄という概念はあくまで方便になる。

 

その地獄という概念を含めた全てが空なのだから、地獄という発想は方便として処理するしかない。

 

そのような難解なことが書かれている経典は成立が新しくて、それらは仏教の始祖ゴータマの言葉かと言えば全然そんなことはない。

 

仏教徒のお友達はさておき、専門家の中で大乗仏典をゴータマの言葉だと考えている人なんて多くないんじゃないかと思う。

 

仏教学者の中村元は折衷的な発想でこの問題を処理していて、「大乗仏典は直接的な釈尊の言葉ではないが、釈尊のエッセンスは十分に含まれている」というようなことを何かの本で言及していたと思う。

 

僕は仏教徒ではないので、そのような信仰上の"軋轢"は存在しておらず、大乗仏典は全て後世の創作だし、原始仏典の時点で始祖ゴータマの言葉なんて殆ど散逸していると判断しているし、ゴータマの言葉と判断できるものは説法中に寝てた弟子をビンタしようとした時のセリフ以外に把握できていない。

 

「カッパタよ。わたしがそなたの耳朶を打つことのないように、そなたはうとうと眠りなさるな。カッタパよ。そなたは集い(サンガ)の人々のなかでうとうと眠っていたので、けじめを知らなかった。(中村元訳『テーラガーター』岩波文庫 1982年 p.61)」

 

この文章を何故僕が仏教の始祖ゴータマの言葉と理解するかは、以前書いたから今回はいい。(参考)

 

とかく大乗仏典は後世の創作で、以前引用したけどそのように実際に言及している仏教学者も存在している。

 

「 しかし、これらの大乗経典の成立が原始経典よりものちであることは事実である。その内容はもとより、文章のスタイルも、遠く仏陀の時代からは隔たっている。言語も、世人によく通じた俗語ではなく、学問的あるいはバラモン階級的な用語として仏陀が排斥したサンスクリット語である。そして、これらの経典が「発見、発掘」されたものだと説明される。つまり、経典は仏陀の時代のものであるが、ながく世人の目に触れることもなく隠されていて、南インドの「鉄塔」や、海中の「竜宮」に秘蔵されていたのが、新たに発見されたのだというのである。このことは、大乗経典の成立がすべて後代のものであることを物語っている。(長尾雅人他訳『世界の名著2 大乗仏典』中央公論社 1967年p.34)」

 

そういう風に後世創作された仏典の中には煩瑣な哲学的な議論をするようなものもあって、そのような経典だと哲学的な議論、阿頼耶識や"受"、"識"などと言ったものが重要で、「悪いことをしたら地獄に落ちる」などということは関心があまり払われていないのだろうと僕は思う。

 

そういう仏教哲学を仏陀の教えだと思い込んでいる人が結構いて、そういう人たちからしたら、地獄などというのは布教用の方便だという言説もあり得てくるのかなと思う。

 

ただ実際は、原始仏典の時代から地獄はあるし、仏教に地獄がないとか言ってる人は仏典を碌に読んだことがないという理解で良いと思う。

 

いやだって、普通に地獄の話は読んでたら出て来ますし。

 

次。

 

・『離騒』について

おそらく、現行の『離騒』のテキストと、司馬遷が読んだ『離騒』のテキストだと、内容が違うんだよな。

 

個人的に司馬遷の頃には前半部分しか存在していなくて、後半に関しては後世の書き足しなのだろうと考えている。

 

以上。

 

古代中国の詩人で屈原という人物がいて、その屈原が書いたという話でいくらかの詩が現存していて、『楚辞』という表題で一纏めにされている。

 

ただ、事実それを屈原が書いたかどうかは疑わしいらしくて、新釈漢文大系の解題では、屈原以外が書いたものがかなり混じっているという話がされている。

 

 

 

僕のお手元にはこの本が存在していて、僕は『楚辞』の中の、『離騒』と『天問』だけを読んでいる。

 

その『離騒』なのだけれど、前半部分は素朴な内容である一方で、後半になると途端に語り手が天上界に旅立ってみたり、縦横無尽に空を飛んでみたりと、かなりファンタジーめいた内容になっている。

 

運良くWikipediaにあらすじがあったので、引用することにしましょうね。

 

「『離騒』は名を正則、字を霊均という人物の一人称によって記述されている。冒頭、霊均は自分が顓頊の子孫であり、寅年寅月寅日の生まれであって優れた才能を持つことを誇る。霊均は古の先王の理想を実現しようと主君のために奔走するが、かえって讒言にあって遠ざけられる。
利権のみを追いもとめる世間に容れられない霊均は妥協を拒否し、遠方へと旅立とうとする。女嬃(伝統的には屈原の姉とされる)はそれを止めるが、霊均はまず沅水・湘水を渡って南方の蒼梧に住む舜に会いに行く。聖哲のみが天下を治めるという説を舜のもとで述べて涙を流した霊均は自説に確信を持ち、空を飛んで崑崙の県圃へ到り、そこから望舒(月の御者)、飛廉(風神)、鸞皇、雷師などの伝説的な神々を従えて天界を旅行するが、天帝の門番によって拒まれる。また、宓妃、有娀の佚女(嚳の妃)、有虞の二姚(少康の妃)らに求婚しようとするが失敗する。
霊氛の占いや巫咸の言葉によってさらに遠くへ行くことを勧められた霊均は世界の果てまで旅行し、8頭の竜の引く車で天上高く昇って女を求めるが、そこからふと故郷が見え、悲しみのあまり先へ進めなくなる。」

 

君主のために色々やったけど政争に敗れて、その事を悲嘆した後に、古の王である舜に合いに行くことにして、空を飛んで仙人の住むところへ向かって…と言うような内容になる。

 

別にそのようなファンタジーを古代中国人が書くということは問題ないとは思うけど、個人的にそのような荒唐無稽な話に関して、思うところがある。

 

古代中国人はそういった超越的な力についての記述をあまり好まなくて、僕は人よりも多く出土文献を含めた古代中国のテキストを読んできているけれど、そのような超人的な振る舞いについての記述に出会ったという記憶がない。

 

『荘子』や『淮南子』あたりだとかなり寓話的な話の中で非現実的な描写は存在しているとはいえ、物語の主人公が空を駆け巡ったり、天上の宮に訪れたりするような物語は古代中国の場合だと『離騒』以外で出会ったことがない。

 

僕は『離騒』を読んで、本当に屈原が書いたのか非常に疑問に思うところがあった。

 

『離騒』を読んだのが先だったかそっちが先だったかはイマイチ思い出せないけれど、屈原の『離騒』に関しては『史記』という古代中国の歴史書に言及があって、僕はその記述を確かめている。

 

それを読む限り、『史記』の著者が読んだ『離騒』と僕が読んだ『離騒』とでは、内容が違うのではないかとしか思えない。

 

司馬遷は以下のように『離騒』について語っている。

 

「 離騒は、上は帝嚳(ていこく)をたたえ、下は斉の桓公を言い、中は殷の湯王、周の武王を述べ、これによって当世の事をそしり、道徳の広大崇高と治乱興亡の条理をあきらかにして、余すところなく表現している。文は簡約で辞は微妙、志は高潔からして、この一篇に詠まれた品物には芳香があったが、おこないの清廉さからして、その身は死んでも世にいられず、人にうとまれた。泥の中に洗って汚濁をぬけ、塵埃の外に遊離して世の垢に穢れず、泥にまみれながらも潔白を保った。屈原の志を推しきわめると、日月の光を争うものと言って差し支えなかろう。(司馬遷 『世界文学大系 5b』 小竹文夫他訳 筑摩書房 1962年 p.134)」

 

「文は簡約で辞は微妙(同上)」の部分は原文だと、「其文約,其辭微」で、ニュアンス的にはやはり、文章は簡潔で、文飾は大げさではないという感じになると思う。

 

そういう風に司馬遷が言っているけれど、現在残っている『離騒』は別にそこまで短くないし、文章が大げさではないということもない。

 

だって空飛んで上帝のところへ行っているし、その描写は絢爛な物品に関する言及も多い。

 

というか、司馬遷の言及に関して、全体的にあれが主人公が空を飛んで神々がいる宮殿へ旅立つ内容の詩を語っているとはとても思えない。

 

『離騒』のあらすじを読んだ後に、司馬遷の『離騒』評を読むと、同じ詩の話をしているとは判断しようがない。

 

けれども、実際『離騒』の前半部分は司馬遷の言う通り、色々な君主のことを語ってその徳や悪徳を言って現在のことを遠回しに批判しているし、大げさな文飾表現も存在していない。

 

あらすじでいうところの一段落目が『離騒』の前半で、それが終わったら詩の趣きが変わってきて、急に空に飛び立つ話が始まっている。

 

文章量的にはあの一段落目が『離騒』のちょうど半分くらいで、けれども、あのあらすじを書いた人は後半の超常的な描写の方を前半部分より重要視したのか、そちらの方が説明が多い。

 

もし、司馬遷が"あの"『離騒』を読んだなら、そのような超常的な話に触れない理由も良く分からない。

 

おそらく、司馬遷が読んだのは現行の『離騒』の前半部分が中心だったのではないかと思う。

 

『離騒』は前半部分は非常に現実的な話をしていて、けれども、後半になると突然、空に飛び立っていく話がおっぱじまるし、文飾も前半で見た飾り気がないけれど高邁なそれが、後半になると趣きを変えてくる。

 

前半部分だと文章の量が少ないという司馬遷の印象にも合致するくらいの文量で、前半に限って言えば司馬遷が言うところの「其文約,其辭微,其志絜,其行廉」という言葉通りの内容になっている。

 

だから多分、司馬遷が読んだ『離騒』は現行の『離騒』より短い内容だったのではないかと思う。

 

前半部分には司馬遷が言っている色々な君主の話や、"芳香"の話もある。

 

結局、現行の『離騒』だと司馬遷の言っている内容と違うから、どうしても司馬遷の読んだ『離騒』と現行の『離騒』は違うものだとしか判断できなくて、けれども、前半部分は司馬遷の言っている通りであることを考えると、後半は後世の付け足された屈原の作ではない文章が含まれているのではないかと思う。

 

…というか、司馬遷の『離騒』の評は、どう考えても主人公が神の宮殿に空を飛んで行って、途中で嫁貰おうとしたりしなかったりするような詩に対する言及ではない。

 

漢籍にはこういう風に後世の付け足しが本文と一体化してしまうようなことは結構あって、『離騒』に関してもそうなのではないかと思う。

 

もっとも、研究者の中でそのように考えている人が存在するかは定かではないし、『離騒』の良く分かんない話を出土文献と照らし合わせて色々考察している論文も存在しているので、実際のところがどうなのかは分からない。

 

多分、司馬遷が読んだのは前半だけだと思うんだけどなぁ。

 

さもなければ司馬遷の言及を受けて、それを前提に誰かが『離騒』という表題で新たに詩を書いたという可能性もあるけれど、司馬遷の言はそれほど重くないと思う。

 

儒教の聖典である『書経』という本は、現存しているテキストは偽書が含まれているとされていて、そのような偽書は色々な文献に言及のあるその本の話から再構築されたようなもので、他の本で言っていることを『書経』の偽書の部分でもしっかり言及してたりする。

 

そういうのは儒教の聖典だから分かる一方で、司馬遷の権威とかは流石にそれをやる程には強くないだろうので、『離騒』に関しては誰かが付け足した文章が含まれているのが現在のテキストなのではないかと思う。

 

思うけど、どうなんでしょうね…。

 

まぁそんな感じです。

 

では。