日記を更新する。
今回はまた古代世界の情報流通について。
本当は…人は何故生きるのかとか、道徳的観念についてとかの話にしようかと思ったけれども、どうせ何を書いても大して読まれないし、僕が書きたいことはこのサイトに訪れる人読みたいことではないと分かっているので、好き放題書くことにした。
3月は少しアクセス数を意識して、漫画の記事ばかりを書いていたのだけれども、結果として僕の体力的にあのように漫画の記事だけを書き続けるということは出来ないし、今後かつてあのサイトのようなアクセス数をこのサイトで得るということは不可能で、継続的で発展的なアクセス数はどうあがいても実現できないと分かった。
まぁアクセス数があったところで、僕がほんの少し喜ぶだけで、そのことで利益があるわけではないし、多くの人が読めばその分だけクソみたいなコメントは増えるのだから、そのことを考えるとまぁ普通にいつも通りに僕が書きたいことを書いていくというスタンスが一番だろうという結論に至った。
あれだけクソみたいなコメントについて注意喚起したのに先月も当然の権利のようにクソみたいなコメントは来ていて、けれども相手は悪気がないのは分かっているからこちらとしても強くは言えないという斟酌があった。
それ言われて僕はどうすれば良いのよ、とか、だから何なんだよ、とは思ったけれども、実際そういう風にコメントを返すことは出来はしない。
感想や指摘のコメントだったら別に応答には困らないのだけれど。
そんな話はさておいて、今回は古代世界の情報の流通について。
今現在、僕は『ソクラテス以前哲学者断片集』という本を少しずつ読み進めている。
この本は要するに、古代ギリシアの更に古い時代の哲学者たちの言及についてまとめた本になる。
そもそも、古代ギリシア世界のテキストは、プラトンとかアリストテレスとか言った有名どころの人々以外のテキストは殆ど残っていないようで、少し後の時代のギリシア人やローマ人が言及する形で彼らの事績について少しだけ分かっている。
『ソクラテス以前哲学者断片集』という本は後世の著述家の言及の中にある、古代ギリシア哲学者についての言及をただ集めただけの本になる。
僕はそもそもとして、この本を何故読み始めたかと言うと、まぁ二つの動機が理由として存在している。
一つは人間の普遍的な価値判断と文化的な価値判断の峻別であって、何処の地域でも見られる振る舞いであるならばそれは人間の本能で、一部の地域でしか見られないならばそれはその文化特有の振る舞いだろうという想定を元に、出来る限りの古代世界のテキストを読み比べて、それぞれを比較するということをかなり前からやっている。
その作業を続ける中で、古代インドと古代ギリシアにおいては、その文化が重なるというところが多いということに気が付いた。
正直、僕はギリシア哲学なんて大学のお勉強の時点でお腹いっぱいだったから、プラトンもアリストテレスもやりたくはなかったのだけれども、原始仏典を読んでて、これ古代ギリシアで見たな…というものがいくらかあって、その検証のためにはやはり、古代ギリシアのテキストを読まなければならないだろうと思って読み始めたという経緯がある。
そして読み始めたのだけれども、想定していたよりも遥かに古代インドと古代ギリシアは繋がらないということが分かっている。
とはいえ、この作業は始めたばかりで、まだ紀元前600~500年の人物のところで作業は止まっているので、今後作業を続けていくにつれて、古代インドと古代ギリシアで重なる記述も増えてくると思う。
それに、思ったよりなかっただけで、実際、古代インドと全く同じ発想というものが古代ギリシアには存在している。
僕はこのことを考えるに際して、古代中国のことが良い指標になると考えている。
古代インドで見られて且つ、古代ギリシアで見られるような振る舞いは、多く古代中国で見ることは出来ないようなそれである場合が多い。
やはり、ヒマラヤ山脈と中央アジアの砂漠地帯に隔てられた中国という場所は、地理的な断絶が著しくて、情報があまり伝わらなかったりも多いのだと思う。
とはいえ、それでも情報は共有している部分もあって、古代ギリシアと古代インドで共通している情報について書く前に、古代ギリシア、古代インド、そして古代中国で共通している情報について書いていくことにする。
まず、生贄の儀式については三つの地域で共通して存在している。
古代中国の生贄の儀式については、歴史書である『史記』や、儒教の聖典である『礼記』に言及があって、まぁ牛とか豚とかを鬼神や天神に捧げるという発想は古代中国にある。
そして古代ギリシアにもあって、テオプラストスの『人さまざま』の中に、生贄に捧げられた肉についての記述が存在している。
一方で古代インドにもある。
どの段階で獲得された文化なのかは分からないのだけれども、古今東西見られる文化で、基本的に何処の地域でも生贄を捧げて儀式はやっていたと考えていいと思う。
古代中国の場合この儀式に黒黍の酒を用いたり、色んな酒を用いるのだけれども、古代インドでもソーマという神酒があるから、やはり酒はそこに存在していたと思う。
古代ギリシアでは酒があったのかは分からない。
未だにそう言及されているテキストに出会っていない。
ただ、酒の神バッカスが居るのだから、そういう儀式に酒が存在しているという可能性は十分あると思う。
ところで、こういう風に儀式に際して酒が登場するという話があると当然の権利のように酒を飲んでトランス状態になっていたという説明がなされていて、ネイティブアメリカンのシャーマンなどはそうだったという話があるけれども、僕はそれを甚だ怪しい話だと考えている。
だって、古代中国の『礼記』の儀式の説明の中に、そのように酩酊状態でトランスするという発想はなくて、ただ鬼神や天神に捧げられると書かれているだけだし、古代インドにしたところで、別に酒を飲んでトランス状態には陥っていない。
僕は古代の儀式についての記述で、酒を飲んでトランス状態に陥るという記述に出会ったことがない。
だから普通に、高価で価値がある酒を墓前に捧げる場合と同じニュアンスで、酒を鬼神や神に捧げているだけなのではないかと思う。
神話学だとやっぱりトランス状態のために酒はあるのだろうけれど、僕はトランス状態になるために酒を飲んでいるシーンに出会えたことがない。
古代中国の場合はそういう儀式は人間に対する接待の延長にあって、目上の人に仕えるように先祖の霊や神に仕えるのだけれども、儀式の中に言及のある酒は、普通に上司や取引先への接待の時に良い酒をふるまうように、神や天に酒を贈っているだけだとしか読み取れない。
まぁテキストの中で、何のために酒を用意するのかとかは書いてはいないのだけれども。
古代インドに関しては僕は仏教のテキストばかりに触れていて、仏教だと酒はNGだから、当時のインド人が酒をどう扱っていたのかとかちょっと良く分からない。
ただ、中国の例を考えると、インドとてトランス状態になるために飲んでいたわけではないのではないかと思う。
そういえば、先にテオプラストスの『人さまざま』の話をほんの少しだけしたけれども、この本の中に少し気になる記述があった。
好々爺のように振る舞う人を批判して、召使いがやる様に幼児に食べ物を与える時に口の中で噛んで口移しする男のことを馬鹿にする記述がある。
どうやら当時のギリシアでは、離乳食の代わりに、大人がかみ砕いた食べ物を幼児に食べさせるという方法を取っていたらしい。
まぁ分かりやすく言うと、『もののけ姫』のサンがアシタカにやってたあれです。
考えてみれば離乳食というものは人間には必要なものであって、けれども、煮炊きをするようになったのは比較的最近であるということを考えると、人間は長い間、古代ギリシア人のように口の中でかみ砕いた食料を離乳食期の幼児に与えていたのではないかと思う。
僕は古代世界でそのような記述があったから古代はそのようにしていたと言いたいわけではなくて、実際、古代中国と古代インドではそのように大人がかみ砕いて子に口移しをするという記述には出会えていない。
だからと言って長い人類の歴史を鑑みて、離乳食の代わり足り得る柔らかい食料というものをどうやって給するかを考えると、大人がかみ砕いて口移しをするという振る舞いは道理に適っているそれだと思う。
子供にとって毒かどうかは大人の口にまず入るので分かるし、成長にあわせて硬さの調整も可能になる。
まぁ、口の中の細菌はうつるだろうけれども、そういう方法はあり得ると思う。
口噛み酒について、これは一回食べた穀物を吐き出して集めたものを発酵させて酒にしたような飲料なのだけれども、もしかしたら離乳食のためにかみ砕いた食べ物を直接幼児に与えるのではなくて、遠出するとかそう言う理由で一時的に溜めたことに由来があったりするのかもしれない。
長男と次男を留守番させて、予めかみ砕いた食料を渡しておいて、「これを食べさせといてね」って感じで。
で、それが腐ったものを食べてみて案外食えたのが口噛み酒の原初だったりするのかもしれない。
もっとも、そんなことは根拠が十分にないから、何とも言えないのだけれども。
離乳食に関連して、穀物を栽培するようになってから、幼児の死亡率が上がったという話を僕は以前読んだことがある。
なんでも、離乳食を煮て作るようになってから、雑菌がそのような食べ物に沸くようになって、幼児が食中毒を起こすという場合が増えたという話だった。
何処の地域の話かは忘れたけれども、口移しだったらそのリスクはないのだから、そういう方法は現代的な価値観で汚いということを除けば合理的なのかもしれない。
他には、世界を構成する4~5個の要素について、印希中の三つの地域で同じように見ることが出来る。
ただ、インドとギリシアに関しては、どうやらギリシアの情報がインドに届いた結果、インドとギリシアでは同じように、火、水、空気、大地、という四つの元素によって世界はなり立っているという話になっているのだと思う。
原始仏典にも四つの元素は出てくるのだけれども、そのような話が出てくるような経典は、比較的成立が新しそうだと僕が読んでて思う様なそれである場合が多い。
最初期の経典だと仏陀はあくまで人間で、人間として教えを伝えているってニュアンスのものも多いのだけれども、例えば、四つの元素についての言及がある『サーマンニャパラ・スッタ』では、仏陀どころか仏教修行すれば誰でも超人的な力を発揮できると書かれている経典になる。
この経典はオウム真理教の『超越神力』というアニメの元ネタだろうと僕は考えていて、まぁ、空は飛ぶし水の上は歩くし、隔絶された場所の会話を聞いたりという話がされている。
苦行を肯定していたり、あくまでバラモン教の分派として色々やっているのだろうという初期の経典では修行の成果はかなり大人しめで、けれども、成立が新しそうな経典だと仏陀は瞬間移動はするし、水の中で火をつけたりするのであって、四つの元素について出てくる『サーマンニャパラ・スッタ』についても成立が比較的新しいのではないかと思う。
この経典も原始仏典の例に漏れず、読んでいて殺意しか湧かない繰り返しの表現が使われているのだけれども、繰り返しの表現があったところで、それは古いということにはなりはしない。
『ミリンダ王の問い』という仏典があって、これは紀元前二世紀に存在していたメナンドロスというギリシア人の王と仏教徒であるナーガルジュナの対話という設定の話なのだけれども、この経典にも繰り返しの表現が用いられている。
このメナンドロスという人物は紀元前130年頃まで生きたらしくて、実際に書かれたのはメナンドロスの死後しばらく経ってからだろうから、そうとすると仏陀が死んで数百年後に作られた経典とて、別に繰り返しの表現で綴られる以上、あのクソみたいな文体だからと言って、成立が古いという話にはならないということが分かる。
仏典が本物か偽物かという話があるのだけれども、個人的にそもそも仏典というものが9割9分が後世の創作でしかないのだから、そこについての議論に何の意味があるのかと思ったりもする。
個人的に一つだけ、これは実際、仏教の始祖ゴータマの言葉なんだろうなというそれを見つけたけれども、それ以外は基本的に後世の創作だと思う。
中村元などの仏教学者は『スッタ・ニパータ』の4章と5章はゴータマ本人の言葉だと考えているようだけれども、個人的に読んでて古そうだとは思うとはいえ、「どうしてこれがゴータマ本人の言葉だと判断できるのか」という理解が欠落しているので、僕はその意見には懐疑的になる。
けれども一つだけ、実際、ゴータマさんはそう言ったんだろうなというそれがある。
『テーラガーター』という仏典に、一つ面白い話がある。
まぁ普通に引用する。
「カッパタよ。わたしがそなたの耳朶を打つことのないように、そなたはうとうと眠りなさるな。カッタパよ。そなたは集い(サンガ)の人々のなかでうとうと眠っていたので、けじめを知らなかった。(中村元訳『テーラガーター』岩波文庫 1982年 p.61)」
これはカッパタクラ長老という人物についての記述で、多分、これに関しては実際、仏教の始祖ゴータマの言葉なのだと思う。
なんていうか、このセリフ自体に何の宗教的な含蓄も、学問的な面白さもなくて、けれども残っているところを考えると、実際、カッパタさんはゴータマさんに怒られたのではないかと思う。
このサンガという言葉は中村の注釈によると、後に仏教徒の共同体そのものを指すようになるけれども、初めは講義自体のことをサンガと呼んだらしい。(「やや後になると、修行者たちが共に修行している共同生活所をも「サンガ」というようになった。(同上p.248)」)
普通に考えてたら授業中に寝たら怒られるのは当たり前なのであって、そんなことをわざわざ訓示にして残す必要があるのかと言えばないと思うし、居眠りについての記述はこれ以外で出会ったことがない。
ガチでカッパタさんは師匠のゴータマさんに先の引用のように怒られて、それが残ってるんだろうなと思う。
…寝んなよ。
…どうでも良いけれども、仏教の始祖ゴータマは体罰容認派ということなのだと思う。
そもそも体罰が駄目という発想があったならば、「私にあなたを殴らせるな」という言及ではなくて、「体をゆすらせるな」とか「大きな声を出させるな」となるわけであって、ゴータマさん自身は体罰について悪いとも思ってはいなかった様子ではある。
まぁそもそも、最初期の仏教では苦行(タパス)を称賛しているし、『テーラガーター』には20数年間横になって眠らない修行の果てに解脱した仏弟子の話もあるから、そういうことが悪いという発想自体が存在していなかったのだろうと思う。
・追記
改めて該当箇所を見てみたら、55年だった。(小並)
「わたしが、横臥しないで座っている行(常坐不臥)を始めてから五十五年が経過した。無気力なものうさを根絶やしにしてから二十五年が経過した。(中村元訳 『テーラガーター』 岩波文庫 1982年 p.176)」
もうこれくらいやってたら、例え何も得られていなくても後には引けないだろうなと思う。
追記以上。
他に、聖書と原始仏教の関連性についての話がある。
…原始仏典の『パーティカ・スッタ』に、普通に世界の終わりとその暫く後の復活についての記述があるんだよな。
更に、ユダヤ教やキリスト教だとメシアという救い主が人々を救うために現れるという教義があって、そのメシアをギリシア語だとキリストというのだけれども、原始仏典の『チャッカヴァッティ・スッタ』に、遠い未来に現れる存在としてメッティーヤ仏という存在があるという記述がある。
時系列的には完全に原始仏典の方が先行していて、実際、仏教の情報がキリスト教に影響を与えたと考えている人も居るらしい。(参考)
僕としては資料が足らな過ぎて何にも分からないとしか言えないけれども、やはり、仏教とキリスト教は深い関係性があるよなと思う。
『法華経』には火宅という言葉があって、燃え盛る家の如き苦しみの現世から、仏さまが救いだしてくれるという話があって、新約聖書の『ユダの手紙』には、信仰に疑いを持つ人々を火の中から救い出してあげなさいという記述がある。(「神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、火の中から引き出して救ってやりなさい。(新約聖書『ユダの手紙』1:21-1:23)」)
正直、キリスト教には詳しくないのだけれども、情報は流通していると考えたほうが良いよなと思う。
古代インドでも古代中国でも月には兎が居るし、大体どの地域でも神様は天空に居るから、どういう経過を辿ったのかは分からないけれども、人々と情報は交流を少なからずしていたと思う。
さもなければ天の神様という発想は本能ということになってしまって、それは道理に適っていると僕は思えないので、何処かの段階で獲得された文化的な判断なのだと思う。
本当は…古代ギリシアと古代インドの話を中心に書くつもりだったのだけれども、先月から積もり積もった我慢があったから色々仕方がない。
とはいえ、こんな内容を読んでもらうとも思えないのが実際で、読まれなくても仕方がないとしか思っていない。
先月、そういえばどれくらい読まれていないのか知らないなと思って調べてみたのだけれども、漫画の記事に対してそれ以外の記事は全体の5%のアクセスしかなかったし、違う日に計算してみたら、全体の2%しかアクセスがなかった。
それらの数字は秦野の被差別部落についての記事についてのアクセスも加算していて、被差別部落の記事は毎日一定数アクセスがあるのだから、実際読まれている記事は本当に限られたものになる。
そのことに思うことはあるけれども、どうしようもないとしか言えなくて、ただ嗚呼という感傷だけが置き去りにされていく。
ただ嗚呼と思う。
嗚呼と。
という日記。
…日記って何なんでしょうね。
そんな感じです。
では。