『ヒストリエ』のフォーキオンについて | 胙豆

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表題通り、『ヒストリエ』のフォーキオンについて書いていくことにする。

 

『ヒストリエ』の原作が岩波文庫から1950年代に出版された『プルターク英雄伝』であるということは、僕のねっとりとした調査によって確定的に明らかになっている。(参考)

 

本来的には今月に『プルターク英雄伝』のアレクサンドロスの話に見られる『ヒストリエ』に存在する描写について色々書くつもりだったのだけれど、めんどくさいという切実な理由からそのことは来月以降の僕に任せることにして、今回は『プルターク英雄伝』のフォーキオンの話を持ってくることにする。

 

さて。

 

フォーキオンという人物が『ヒストリエ』に登場している。

 

(岩明均『ヒストリエ』8巻p.29 以下では簡略な表記とする)

 

そのフォーキオンという歴史上の人物についてなのだけれど、クッソ激烈にマイナーな人物で、これを書いている2019年11月22日現在、Wikipediaの日本語記事すら存在していない程の人になる。

 

そのフォーキオンさんについて、岩明先生がどこでこの人物を知ったかなのだけれど、これは普通にプルタルコスの『英雄伝』という歴史上の人物の伝記からになる。

 

何故そう断言するかというと、この世界にフォーキオンについて、その晩年以外の話をまともに言及しているテキストが、『英雄伝』しか存在していないからになる。

 

一応、プルタルコスの『英雄伝』だけではなく、ポリュアイノスって人の『戦術書』って本にもフォーキオンについて書かれているのだけれども、岩明先生が読んだのはプルタルコスの『英雄伝』の方で、実際に岩波文庫から出ている『プルターク英雄伝』の9巻が、『ヒストリエ』のフォーキオンの元ネタということでいいと思う。

 

『戦術書』にもフォーキオンの記述はあるのだけれど、一段落分しかない。

 

そして実際読んでみれば分かるけれども、『ヒストリエ』のフォーキオンの記述と『戦術書』のフォーキオンの記述はあまり重ならない。

 

ポキオンってのはフォーキオンのラテン語読みです。

 

「十二 ポキオン

 ポキオンはボイオティアに出兵しようとするアテナイ市民を思い止まらせようとしていたが、逆に血気に逸った市民たちは、投票によって開戦を決め、ポキオンを将軍に任命した。ポキオンは触れ役に、「六十歳までの男子は全員五日分の食料を持って、民会終了後、ただちに私と行動をともにするように」と市民に伝えさせた。ひとびとがどよめいた。なかでも老人たちは怒号を発して席を立った。するとポキオンは、「諸君が恐ろしい目にあうことはけっしてない。八十歳の私が、将軍として諸君といっしょにいるのだから」といった。これを聞いたアテナイ市民は、戦争を始めようとする意欲をなくし、考えをあらためた。(ポリュアイノス『叢書アレクサンドリア図書館 第六巻 戦術書』 戸部順一訳 国文社 1999年p.162)」

 

『戦術書』にあるフォーキオンについて言及は以上で、この文章から『ヒストリエ』のフォーキオンを描くのは不可能だし、引用の記述は『ヒストリエ』の11巻現在の20年弱あとの時代の話になる。

 

一方で、プルタルコスの『英雄伝』に出てくるフォーキオンはまんま『ヒストリエ』のフォーキオンで、まぁなんというか、この記事を書くために、さっきフォーキオンの話を全部読んだところなので、普通に『ヒストリエ』のフォーキオンは『プルターク英雄伝』9巻からということでいいと思う。

 

『ヒストリエ』で言及されているようなことがそのまま『プルターク英雄伝』に書かれているから、疑う方がむしろ不誠実だろうと思うくらいで、『プルターク英雄伝』にフォーキオンが由来を持っているという事柄は疑う余地がない。

 

『ヒストリエ』のフォーキオンは作中で「もっとも強力な弁論家」であると言及されている。

 

(8巻pp.21-23)

 

『プルターク英雄伝』には全く同じ言及が存在している。

 

「ゼーノーンが哲学者というものは言葉を発する前に心の中に浸さなければいけないと云ったように、フォーキオーンの演説は極めて少い言葉の中にきわめて多くの意味を含んでいた。スフェーットスの人ポリュエウクトスが、デーモステネースは最も優秀な弁論家でフォーキオーンは最も強力な弁論家だと云ったのは、恐らくこの点を指したのだと思われる。(プルタルコス 『プルターク英雄伝』 9巻 河野与一訳 岩波文庫 1956年 p.187 注釈は省略 旧字体は新字体へ 以下は簡略な表記とし特記がない限り9巻のこととする)」

 

岩明先生が作中でフォーキオンのことを最も強力な弁論家であると説明するためには、岩明先生がその文言を手前で考えたか、どこかでその表現を読んだかくらいしかパターンが想定できないけれども、『プルターク英雄伝』にそのまんま同じ内容が書いてあるのだから、『ヒストリエ』の先のシーンは『プルターク英雄伝』ということでいいと思う。

 

まぁそもそも、僕によるねっとりとした調査で『ヒストリエ』の原作は『プルターク英雄伝』であるということは分かっているし、以下では『ヒストリエ』のフォーキオンが『プルターク英雄伝』に基づいて描かれているという前提で、『プルターク英雄伝』に見られるフォーキオンの描写の中で、『ヒストリエ』に見られるようなそれについて色々書いていく。

 

まず、フォーキオンの顔についてなのだけれど、『ヒストリエ』では厳めしい顔で、眉間に皺を寄せている人物として描かれている。

 

(8巻p.44)

 

『プルターク英雄伝』にもフォーキオンの顔についての言及が存在している。

 

「 (フォーキオンの)その性格は温和で深切であったが、顔付は渋く近づき難く見えたので、親しくしていない人々には独りでこの人と話をするのが楽ではなかった。そこでカレースが或る時フォーキオーンの眉(顰め面)の事を言ってアテーナイの人々が笑うのを見ると、フォーキオーンは云った。『この眉はあなた方に少しも害を齎らしたことはないが、こういう人々の笑は度々国家を泣かせた。』(『プルターク英雄伝』p.187 ()内引用者補足)」

 

ここで言及のあるカレースってのは『ヒストリエ』に出てくる"英雄"カレスですね。

 

(9巻p.169)

 

このカレスなのだけれど、『ヒストリエ』では無能として描かれている。

 

『プルターク英雄伝』でもそこは同じで、先の引用でもフォーキオンに因縁つけたのに弁論でやり返されているし、他の場面では全く無能な振る舞いをしている。

 

一方でカレスは先に言及した『戦術書』にも言及があって、以前にも少し触れたけれど、そこに言及されるカレスは別に無能な人物ではない。

 

『戦術書』のカレスの話は手元に複写したテキストがあって今読んでいるのだけれど、純粋に書き写すのが面倒だから書き写さない。

 

カレスについては三つのエピソードが書かれていて、一つ目は智謀によって紛れ込んだスパイを見つけ出したという話、二つ目に酷寒の地で自分が用意した外套が破れるのを気にして戦わない兵士たちを見かねて兵士同士の外套を交換させることによって、兵士は外套を破ることを気にしなくなって戦うようになったという話、三つ目が退却戦中に敵に襲われた際、知略を以って敵を欺き撤退させたという話が収録されている。(同上pp.161-162)

 

この記述からあの無能な"英雄"カレスが描かれることは道理にかなっていないので、カレスに関して『ヒストリエ』は『戦術書』を参考にしている様子はない。

 

そうそう、カレスは"英雄"というあだ名を持っているけれど、『英雄伝』のフォーキオンの話にその英雄というあだ名についての言及はなかったから、このことは岩明先生のオリジナルか、はたまた違うテキストに由来している描写らしい。

 

『プルターク英雄伝』と『ヒストリエ』では描写に結構差があって、同じ場面でも登場人物の振る舞いや境遇が違うということが結構ある。

 

けれども、あまりに情報が重複しているので、普通に原作は『プルターク英雄伝』であるということには変わりはない。

 

カレスは『ヒストリエ』において、ビザンティオンに援軍に来ていて、それに際して入港を拒まれている。

 

(7巻p.184)

 

この場面も『プルターク英雄伝』にあるのだけれど、カレスはそもそもビザンティオンに入れていない。

 

「 そこで大きな望を懐いたフィリッポスは全軍を挙げてヘルレースポントスに至り、ケルソネーソスと同時にペリントス及びビュザンティオンを手に入れようとしたので、アテーナイの人々は救援軍を遣ることに決し、弁論家たちは力を尽してカレースを将軍として派遣したが、この人は折角出掛けたのにその軍隊にふさわしい手柄は立てず、町々にもその艦隊を迎え入れず、すべてのものから嫌疑の目を向けられながら同盟軍から金をとったり敵軍から軽蔑を受けたりしながら放浪していたので、アテーナイの民衆は弁論家たちに扇動されて不満を感じ、ビュザンティオンに援軍を派遣したことを後悔したので、フォーキオンは立上がって信頼を寄せない同盟国に対して怒るよりも信頼を得られない諸将軍に怒るべきだと云った。『あの人々は諸君の援けを得なければ安全を得られない人々からまで恐がられるような事をしているのだ。』(『プルターク英雄伝』p.197)」

 

まぁなんというか、『ヒストリエ』と『プルターク英雄伝』では経過に差が存在している。

 

僕は先に『戦術書』のカレスの話を読んでいたから、『ヒストリエ』のカレスが何故あそこまで無能として描かれるのかが謎だったのだけれど、プルタルコスの『英雄伝』に出てくるカレスは、なんつーか、無能っすね…。

 

『ヒストリエ』の無能なカレスは『プルターク英雄伝』由来ということでいいと思う。

 

『プルターク英雄伝』にはデモステネスの話もあって、僕はそれを読んではいないのだけれど、そこに出てくるカレスも無能だったりするのかもしれない。

 

次に、フォーキオンは作中でプラトンのアカデメイアで学んだという言及がある。

 

(9巻p.93)

 

これも『プルターク英雄伝』に言及がある。

 

「極く若い時にプラトーンの、又その後クセノクラテースの講義を聴くためにアカデーメイアに出入し、(『プルターク英雄伝』p.186)」

 

この話はフォーキオンが卑しい家柄だという説もあるけれど、実際は高貴な家柄出身だという話の中の挿入で、そのように学識を持っていたのだから卑しいはずはないという話なのだけれど、面倒だからアカデメイアのところだけ抜き出した。(人間の屑)

 

フォーキオンさんの生まれなんてどうでもいいからね、しょうがないね。

 

他には、フォーキオンは自分から立候補してはいないけれど、将軍に選出されているという話がある。

 

(8巻pp.24-25)

 

これも『プルターク英雄伝』に記述がある。

 

「 こういう立場を取って常に平和と安寧を目的とする政策を行いながら、一方で当時の人々の間ばかりではなく自分よりも前に出た人々の間でも最も多く出征し、それも立候補したり競争した結果ではなく、国家の要望を避けたりしなかったためである。一般に認められているところによると、四十五回も将軍の職に就いたが一度も選挙に乗り出たことはなく引込んでいるところへいつも迎えが来て選び出された(『プルターク英雄伝』pp.190-191)」

 

引用してみて思ったけれど、まんま『ヒストリエ』の描写通りっすね…。

 

ついでに、平和と安寧を目的とする政策を行った人という言及があるけれど、『ヒストリエ』でフォーキオンは平和主義者だと何度か言われている。

 

(8巻p.75)

 

(8巻p.94)

 

『プルターク英雄伝』にはフォーキオンが平和主義者であるとしっかり言及があって、この描写は『プルターク英雄伝』に元があるらしい。

 

『ヒストリエ』読んでてどこら辺が平和主義者なんだよと思っていたけれど、原作由来の描写だったんすね…。

 

次に、フォーキオンが質素な暮らしをしているという描写がある。

 

(9巻pp.48-49)

 

当然、このことも『プルターク英雄伝』に言及がある。

 

「さて使のものがフォーキオーンの家まで随いて行って、妻がパンを捏ねていたりフォーキオーンが自分で井戸から水を汲んで足を洗ったりしてるような甚だしく質素な生活振を見ると、憤りを感じて一層贈り物を強い、大王の友人ともある人がこんな貧乏な暮らしをしているとは怪しからん話だと云った。(同上『プルターク英雄伝』p.208)」

 

このシーンはアレクサンドロス大王がフォーキオンを友人として遇して、黄金を贈与したけれど受け取ってもらえなかった場面になる。

 

『ヒストリエ』にもフォーキオンが贈り物を受け取らない人物だという話がある。

 

(8巻p.55-56)

 

このフォーキオンが金品を受け取らないという話は『プルターク英雄伝』で度々言及されていて、かなり印象深いエピソードになる。

 

「そこで(不正をして身の危険があったハルパロスは庇護を受けようと)フォーキオーンの機嫌を取りに掛かったが、いろいろ手を尽くした末、フォーキオーンがあらゆる方向に於て黄金に対して堅固な城のようだということを知った。(『プルターク英雄伝』p.208 ()は引用者補足)」

 

もう一か所あったけれど、なんか見つけられないからいいや。

 

アレクサンドロスの死後に金品を贈与されて、大王の贈り物ですら受け取らなかったのに、どうして今更黄金を受け取るだろうかと答える場面がさっき読んだときにあったよ。

 

フォーキオンという人物について、『ヒストリエ』に存在している『プルターク英雄伝』由来であろう描写はこれくらいになる。

 

まぁ普通に『プルターク英雄伝』に出てくるフォーキオンが『ヒストリエ』のフォーキオンの元ネタということでいいと思う。

 

全体的に人物像などは『プルターク英雄伝』と重なるけれど、所々で差異はあるかなといった感じになる。

 

『ヒストリエ』ではビザンティオンでフォーキオンがマケドニア軍を派手に蹴散らしているけれど、『プルターク英雄伝』ではヘレスポントスの(ビザンティオンの近くの海峡の)マケドニア軍を撃破したとしか言及されていない。

 

『プルターク英雄伝』にはフォーキオンのセリフがいくらか収録されているのだけれど、その中で『ヒストリエ』のフォーキオンが言わなそうなそれがあって、けれども全体を通せばやはり、『ヒストリエ』のフォーキオンは『プルターク英雄伝』のそれと重なっている。

 

フォーキオンは副官として各地で戦ったと『ヒストリエ』に言及がある。

 

(8巻p.25)

 

この時の話は『プルターク英雄伝』に言及があって、フォーキオンはカブリアスという人物の下で戦ったのだけれど、そのカブリアスの息子の面倒を上官に対しての恩義から見ている。

 

けれどもカブリアスの息子は愚鈍(本文ママ)であって、そのカブリアスの息子に対して、頭にきたフォーキオンは次のように言っている。

 

「ただ一度、この若者(カブリアスの息子)が遠征の際に厄介なことを言い出し、同僚の将軍のような顔をしてフォーキオンの計画を改めるように時期に合わない質問や勧告を持出したので、『おお カブリアース、カブリアース、御子息に我慢するのもあなたのご厚意の大きな恩返しです』と云ったそうである。(『プルターク英雄伝』p.189 ()は引用者補足)」

 

『プルターク英雄伝』のフォーキオンはこのようなことを言う人物だけれど、このセリフ、『ヒストリエ』のフォーキオンは言いそうにないよね。

 

…ところで、この父親への恩義のための息子に対する我慢というのは、パウサニアスがレオンナトスに対してやっていて、もしかしたらあの描写はこのフォーキオンのセリフに由来があるのかもしれない。

 

(11巻p.66)

 

それはさておき、そういう風に、所々に重ならない部分はあるけれど、他の大体のセリフは『ヒストリエ』のフォーキオンも言いそうなセリフであって、やはり、『ヒストリエ』のフォーキオンは『プルターク英雄伝』のフォーキオンが元であると判断していいと思う。

 

というかそもそも、この世界にフォーキオンについて書かれたまともな資料はプルタルコスの『英雄伝』しか存在してないし、普通にそこが由来ということでいいと思う。

 

最後に、『プルターク英雄伝』のフォーキオンの話には一つ、『ヒストリエ』の読者に印象深い人名が登場する。

 

まぁ読んだ方が早いと思う。

 

「 フォーキオーンが娶った二人の女のうち、初めの人については彫刻家のケーフィソドトスがその兄弟だということ以外は何も伝わっていないが、後の人の貞淑と質素についてはフォーキオーンの実直に劣らずアテーナイの人々の間に評判が高かった。或る時アテーナイの人々が新作の悲劇を見物していた時に、女王の面を被る筈の役者が出資者から豪奢な衣装の侍女を大勢要求した。出資者が提供しなかったので、役者は腹を立てて登場を拒んで見物人たちを待たせた。すると出資者のメランティオスは役者を舞台に押し出しながら大声で『フォーキオーンの奥方が外出の時一人しか召使を連れていないのを見ていないものはいないのか。お前の威張り方は夫人の品位を貶すものだ。』と叫んだ。その声が皆に聞こえると 見物人は拍手喝采して賛成した。又或るイオーニアーの女が様々な首飾りに漬けた黄金や宝石を見せびらかすと、フォーキオーンの妻は『私の飾は既に二十年もアテーナイの将軍を務めているフォーキオーンです。』と云った。(『プルターク英雄伝』)pp.203-204」

 

このエピソード自体は、悲劇女優が役者の衣装に文句をつけて出演を拒んだ際に、フォーキオンの奥さんの質素さを見習えと言われて舞台に引っ張り出されたという話だけれど、引っ張り出した人物の名前がメランティオスというそれになっている。

 

フォーキオンの友人であるメランティオスという人物は、ヒストリエに登場している。

 

(9巻p.92)

 

まぁ説明するまでもなく、カロンの事です。

 

(9巻p.126)

 

話としてはこのメランティオスという名前は原作の方にもちゃんとフォーキオンの友人として登場しているというだけだけれど、僕は『プルターク英雄伝』を読んでて先のシーンに至ったとき、はえ^~と思った。

 

そして、フォーキオンの友人は他にも何人も登場している。

 

けれども、メランティオスという名前がカロンに当てはめられたということは、フォーキオンの最後までを岩明先生は描くつもりはないのだろうと思う。

 

フォーキオンはアレクサンドロスの死後のディアドコイ戦争に際して、ポリュペルコンと敵対する。

 

ポリュペルコンは『ヒストリエ』にも出てきたよね。

 

(5巻p.162)

 

ポリュペルコンは右の太って笑ってる方になる。

 

…『ヒストリエ』に出てくるポリュペルコンはこんな顔だけれど、『プルターク英雄伝』のフォーキオンの話に出てくるポリュペルコンはクッソ激烈に性格悪いんだよなぁ。

 

でもまぁこの顔であの性格というのも中々いい塩梅なのかもしれない。

 

それはさておき、ポリュペルコンはアテネを自分の領土にするために画策して、事実上の指導者であるフォーキオンを失脚させるために色々した。

 

結果としてフォーキオンはアテネ市民によって死刑宣告を受けて、更にフォーキオンのみならず彼の友人たちもフォーキオンの友人であるという理由で死刑になっている。

 

それに際して、死刑になった友人の名前が列挙されるのだけれど、同時に注釈でどういう人物かの説明が入れられている。

 

ただ、どういう人物か全くわからないような人名もあって、名前の挙がっている7人中2人が詳細不明になっている。

 

その人名をカロンの偽名として使ってもよかったわけであって、けれどもフォーキオンと運命を共にする人物としてカロンを選ばなかったところを見ると、フォーキオンの死まで、そしてカロンの死まで描く予定がないのだと僕は思う。

 

ただでさえ完結が絶望的だというのに、フォーキオンの話までしてたら終わりようがないから、その選択は正しいと思う。

 

フォーキオンは結局、ポリュペルコンの策略を受けてそのまま毒を煽って死んで、後に世界情勢を知ったアテネ市民は無実の罪で死刑にされたフォーキオンのその死に涙したと書かれている。

 

フォーキオンについてはエウメネスと絡めそうなエピソードが既に『ヒストリエ』で殆ど描かれてしまっているから、今後フォーキオンは『ヒストリエ』ではあんまり出てこないと思う。

 

その前にその…まず…雑誌に『ヒストリエ』の掲載をですね…。

 

しょうがないね…。

 

そんな感じのフォーキオンの話。

 

この記事自体は本来的に、『地中海世界史』という『ヒストリエ』のもう一つの原作をチラチラ見ていた時に見つけた『ヒストリエ』に関係する小さな話を記事にしたいがために、けれどもそれだけでは記事の分量が足りないからフォーキオンの話に付け加えるという方針でこしらえたのだけれど、フォーキオンの話だけで十分な量になってしまったために以上にする。

 

いくつか『地中海世界史』に『ヒストリエ』の描写に繋がる事柄が書かれていたのだけれど、今回はもう飽きてきたからいいや。

 

そうそう、この記事に言及のある『プルターク英雄伝』の9巻なのだけれども、この巻にはアレクサンドロス大王の話も載っている。

 

アレクサンドロスの話のために買った9巻に偶然収録されてたからこの記事は制作されることになった。

 

僕はこの9巻をアマゾンで40円+送料で買ったのだけれど、そのAmazonリンクをこの前見てみたら、とんでもないことになっていた。

 

 

40円で僕が買った本が1万5千円になっていた。

 

ヴォースゲー。

 

これは純粋に、僕がこの前『ヒストリエ』の記事を書いたときにアフィリエイトを設置して、そこから買った人がいたからなんだよな。

 

だって、僕がその記事を公開する前までは年単位で1円とか数十円で売っていたというのに、僕がその記事を公開したら数か月でこのザマだったから。

 

そもそも、それ以前にアレクサンドロスの話をしたときに『プルターク英雄伝』のリンクを用意したことがあったのだけれど、僕が買う前に値段が高騰すると嫌だから、わざわざアレクサンドロスの巻のリンクを避けて1巻のリンクを用意したことを覚えている。

 

まぁ元々在庫が3~4冊しかなかったからあのザマになるのは仕方がない。

 

とはいっても、この巻はAmazonだと他にも違うページで格安でまだ売ってるんだよな。

 

 

…数週間前は数十円だったけれど、今見てみたら600円+送料になってますね。

 

今のところ600円前後での出品は三冊で、その次が1640円で、それが終わったら残りは一万円越えだから、早い者勝ちですね…。

 

まぁこういう風に入手困難(予定)だから、僕はお手元の『プルターク英雄伝』の9巻のアレクサンドロスの話の、特に『ヒストリエ』で描かれている部分とフィリッポスの死までくらいを手前でスキャンしてzip形式で配布するつもりでいて、その作業があまりに面倒だったから、『ヒストリエ』のアレクサンドロスと『プルターク英雄伝』のアレクサンドロス大王の話を書くのをおっぽり投げて、フォーキオンの話を書くことにした。

 

面倒なことは後回しにするとあの日の僕は決めたからね、しょうがないね。

 

実際、zipで配っても一つたりとも僕に得はないんだよなぁ…。

 

でも多分、今年度中にはやるよ。(やらない)

 

まぁそういう風にアレクサンドロスの巻は入手があれな一方で、エウメネスの巻は未だ一円で売っているところを見ると、『プルターク英雄伝』の特定の巻の品切れと、『ヒストリエ』はあんまり関係ないのかもしれない。

 

 

それともエウメネスの話のネタバレは心理的に嫌だったりするのかねぇ。

 

分からないところだけれど、そもそも現在だと西洋古典叢書から新訳が出ているのだから、旧字体の『プルターク英雄伝』を読む理由なんてよっぽどの特殊以外ない以上、普通に読むとしたら西洋古典叢書の方を読んだ方がいい。

 

 

なんだかんだ言って、旧字体を読むには"慣れ"が必要だし、旧字体を読むのに慣れて良いことなんて滅多にないのだから、新訳の方がいいと思う。

 

僕は旧字体の本を読む機会があるけれど、そんなのよっぽどの特殊なのだから、普通に新字体の方を読んだ方が楽だと思う。

 

結局、『ヒストリエ』は現状だと完結はできないのだから、最終的には個々人が『英雄伝』を読んで補完するしかないとはいえ、旧字体を読む必然性はそんなにないのだから、西洋古典叢書の『英雄伝』を読んだ方がいいんじゃないかなと個人的に思う。

 

という感じの解説。

 

…どういう感じなんでしょうかね。

 

でも、そんな感じです。

 

では。

 

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