『ジョジョリオン』の八木山夜露およびアイ・アム・ア・ロックの考察 | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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書いていくことにする。

 

僕はこの前、『バオー来訪者』の技名について色々書いて、荒木先生の英語力がガバガバだという話をしたけれども、それに際して、おそらく、荒木先生はサイモン&ガーファンクルの『I am a rock』の歌詞の内容を分かってないだろうという話を少しだけした。(参考)

 

今回はなんつーか、その話です。

 

『ジョジョリオン』は『ジョジョの奇妙な冒険』の8部目の作品で、その中に八木山夜露というキャラクターと、そのスタンド能力としてアイ・アム・ア・ロックというそれが登場している。

 

(荒木飛呂彦『ジョジョリオン』8巻p.9)

 

左の本体が八木山夜露で、右のスタンドがアイ・アム・ア・ロックになる。

 

アイ・アム・ア・ロックというのは、サイモン&ガーファンクルという人たちの歌になる。

 

とりあえず、BGM代わりにYouTubeのリンクを用意することにしましょうね。

 

 

(YouTubeより)

 

荒木先生はこのサイモン&ガーファンクルの曲がかなり好きなようで、この二人の名前はジョジョの33巻に登場する。

 

(『ジョジョの奇妙な冒険』33巻p.33-34)

 

「たとえるなら サイモンとガーファンクルのデュエット!(のように素晴らしい!)」と漫画の中で言わせているのだから、荒木先生はサイモン&ガーファンクルの楽曲を好んでいて、聞いてもいると言っていいと思う。

 

なのだから、『ジョジョリオン』に出てくるアイ・アム・ア・ロックについても、サイモン&ガーファンクルは『I am a rock』という曲を作っているのだから、そこから来ていると考えても僕は問題は感じられない。

 

そうそう、前回の『バオー来訪者』の解説の時は入れるところがなかったから入れられなかったのだけれど、ジョジョの場合、基本的にスタンドは洋楽から名前を取っていて、そこにちょっと世代の問題で理解しきれないかもしれない事柄があるから、それについて補足しておく。

 

僕の世代ではもうそんな風潮は強くはなかったのだけれど、荒木先生の青年時代とかでは、やたらにアメリカやヨーロッパの楽曲が日本に輸入されていた時代になる。

 

そして、多くの人が洋楽を好んで聞いていたということがあって、けれども、彼らは英語で何が歌われているか、必ずしも分かっていなかったという事実がある。

 

僕の両親なんかも英語はからきし駄目で、シンガポールに海外旅行に行ったときに、簡単な英語で書かれた英語のメニューすら読めなかったと話していた。

 

けれども、それでも洋楽は聞いていて、この前映画化された、クィーンという音楽グループを題材にした『ボヘミアンラプソディー』という映画を見に行ったと言っていた。

 

このことはあくまで一例に過ぎないのだけれど、別に洋楽を聞いていたからと言って英語を理解しているわけではないということがあり得るということの説明のための挿話であって、洋楽をめっちゃ聴いていても英語で何を歌っているのか分かっていないということはそこまで珍しい話でもない事柄になる。

 

まぁ『幽遊白書』の冨樫先生も、桑原にメタリカのコンサートに行かせるくらいには洋楽に造詣があるというのに、『レベルE』を作るに際して、エイリアン(alien)の頭文字がEだと思い込んで『レベルE』って漫画のタイトルを決めているし、そういうことは別に特殊な例ではない。

 

じゃあ、荒木先生はどうだろう。

 

僕は上に引用した億康のセリフを読んで、サイモン&ガーファンクルに関心を持って聞き始めたのだけれども、最初は全然何を歌っているのか理解していなかった。

 

ただ、大学受験をしたり大学を出たりして、それなりに英語が読めるようになったおかげで、彼らが何を歌っているのか、辞書を片手に歌詞を見れば分かるようになってきた。

 

そして、『ジョジョリオン』のアイ・アム・ア・ロックについて知る。

 

僕はそのスタンド能力者である八木山夜露の言動とかを見て、荒木先生はぶっちゃけ、英語で何を歌っているのかほぼほぼ理解できていないということを理解した。

 

まず、サイモン&ガーファンクルの『I am a rock』の歌詞を見てみる。

 

アメブロの利用規約的に歌詞は持ってこれないので、グーグルで検索したら出てくるやつを参考にしてもらいたい。(参考)

 

ただ、一応僕が手前で翻訳すればそれは著作権的に問題ないので、必要なところを適宜翻訳して話を進めていく。

 

『I am a rock』の一番の歌詞は、雪の降る寒い冬の日に、一人で窓から道を見たとかそんなことが歌われていて、その後に唐突に、「私は岩だ、私は島だ(I am a rock. I am an island)」という歌詞が登場する。

 

いきなり岩だ島だ言い出して、そこだけだと意味が分からないのだけれど、二番の歌詞以降の歌詞を見ればどういう意味かが分かってくる、

 

二番の歌詞は以下のようになっている。

 

僕は壁を作り上げた

要塞は深くて強大だ

誰も破ることは出来やしない

僕には友情は要らない 友情は痛みを産む

あの笑いとあの愛は僕にとって恥だ

 

このように歌った後に、また岩だ島だ言い始める。

 

三番以降の歌詞もそのように人付き合いを否定する内容になっていて、三番では愛を否定して、四番では触れ合いを否定している。

 

そしてその都度、自分のことを岩だの島だの言っている。

 

けれども、四番の歌詞の最後まで行くと、何故自分のことを岩だの島だの言っているのかが分かってくる。

 

いつものように「I am a rock. I am an island.」と言った後に、「And a rock feels no pain. And an island never cries.」と歌っている。

 

意味合い的には岩は痛みを感じないし、島はけして泣くことはない(から私は岩や島だ)ということになる。

 

だから、『I am a rock』という歌自体は、人付き合いを疎んでいる歌になる。

 

曲だけ聞いてた頃の僕は全く理解出来てなかったなぁ。

 

じゃあ、荒木先生は理解しているのだろうか。

 

夜露の言動を見てみる。

 

見てみたところで、そのように何か人付き合いのことを疎んでいるという描写の一切は存在していない。

 

夜露の過去話も少しだけあるけれども、特に彼自身にうんざりしたようなそれはない。

 

勿論、名前だけとって曲の方に一切の関連性を敢えて持たせなかったという可能性もあるのだけれど、夜露の場合はそうではなくて、ばっちりスタンド名に関連する言葉と要素を持っているキャラクターになる。

 

(『ジョジョリオン』8巻p.51)

 

このように、楽曲の方の『I am a rock』の歌詞が本編中に出てきている。

 

どうでも良いけれど、若干誤訳ですね…この訳。

 

「I am a rock」の"a"は"ひとつの"ってニュアンスではないと思うの。

 

「This is a pen.」は、「これはひとつのペンです」と訳さずに、「これはペンです」と訳すように、その"a"は"ひとつの"とは普通訳さない。

 

とにかく、荒木先生は別に楽曲の情報を漫画の内容に徹底的に排除しているつもりではないだろうと言えると思う。

 

そして、この八木山夜露は岩人間でもある。

 

"私は岩だ"という名前のスタンドを持った人間が、岩人間として描かれている。

 

(『ジョジョリオン』8巻pp.23-24)

 

この石塊が八木山夜露ね。

 

普通にこれに関しては、"I am a rock"という言葉から着想を得たのだと思う。

 

荒木先生は基本的にその場のノリで漫画を描いていて、特に長期的なストーリーのビジョンは存在していない場合が多い。

 

3部とかはディオを倒すという目的があったけれども、4部は適当にその場その場で話を考えていただろうし、6部と7部は行き当たりばったりで描いている。

 

6部の2巻で、エンポリオが徐倫に面会に行くことをやめるように忠告するのだけれど、このことでちょっと問題がある。

 

(『ストーンオーシャン』2巻p.51)

 

エンポリオは承太郎が徐倫を脱獄させに来ただなんて知らないし、プッチ神父がホワイトスネイクの本体だと理解していないし、徐倫と承太郎が面会している時にプッチ神父が承太郎の記憶のディスクを狙っているということも知り得ないわけであって、エンポリオがこのように警告をするということがよくよく考えたら意味が分からないそれになっている。

 

このエンポリオは別にホワイトスネイクが見せた幻覚ではなくて、本当にエンポリオが忠告しに来ているのだけれど、エンポリオにとって「死ぬ以上に不幸なことが起こる」ということは知り得ない情報になる。

 

長期的なビジョンを持ってこのシーンを描いているならば、エンポリオがそのように知り得るシチュエーションを用意するのが普通であって、おそらく、なんとなく"奇妙な"物語を描こうとしてエンポリオにそのように言わせただけで、深く考えて描写をしているわけではないと思う。

 

加えて6部だとF・Fの宿主のエートロの罪状が誘拐だったり毒殺だったりして、あんまり整合性とかを重視していない様子が読み取れる。

 

(『ストーンオーシャン』p.116,144)

 

他には女性として最初描いたアナスイを唐突に男性にしたり、プッチ神父が実の弟であるウェス・ブルーマンのことをウェザー・リポートと呼んだり、結構行き当たりばったりの部分が多い。

 

まぁプッチ神父は記憶のディスクがないからウェスのことをウェザー・リポートとわざわざ呼んだのかもしれないけれども、普通にあの時点では兄弟だって設定考えてなかっただけだと思うよ。

 

他にも、7部では最初どうやらジャイロが刺客から狙われるようなストーリーを想定していたらしくて、L.A.ブンブーンにそのようなことを言わせている。

 

(『STEEL BALL RUN』4巻pp.79-80)

 

一応、オエコモバには命は狙われているけれども、オエコモバに20万ドルを払う財力は無さそうだし、スティールボールランの中でジャイロの暗殺を依頼するような人物や集団は出てこない。

 

多分、これ描いたときはそんな風に祖国の組織に狙われてる話にするつもりだったんだろうな、と思う。

 

そしてその設定を忘れて大統領との対立と聖人の遺体を集めるというストーリーにしたのが、スティールボールランという物語になる。

 

このことから分かるように、荒木先生ははっきり言ってその場のノリと勢いで漫画を描いている。

 

八木山夜露の話に戻ると、夜露は岩人間なのだけれど、それは普通に『I am a rock』という歌のスタンド能力者だから岩人間なのであって、彼には岩人間の仲間がいるけれども、夜露の戦闘を描き始めたころには仲間の存在なんて考えていなかっただろうという推測がある。

 

ノリと勢いで漫画を描いているという傾向性があるから、その傾向性に則って「私は岩だ」という歌のスタンド能力者が岩であることを考えると、これから先に岩人間との戦いを描こうと思ったから彼は岩であるのではなくて、ただ単に「私は岩だ」という曲からインスピレーションを受けて、夜露は岩人間になったのだろうと言及できると思う。

 

そもそも、『I am a rock』という歌の歌詞を理解できていたならば、夜露のパーソナリティーは孤独を好むようなそれになるはずであって、それなのに仲間とつるんでいて、けれども、『I am a rock』の歌詞の中の情報は物語に影響を与えているということが分かる。

 

以上の事柄から、荒木先生は『I am a rcok』というサイモン&ガーファンクルの曲を好んで聞いているけれども、"I am a rock"というフレーズと、"I am an island"というフレーズしか聞き取れていない可能性が非常に高い。

 

…。

 

英語力がガバガバじゃないか…。

 

信者の人はそういう結論に至らないだろうけれども、僕は信者じゃないからね、仕方ないね。

 

荒木先生はスタンド名を洋楽から取っているけれども、洋楽の歌詞はあんまり理解していないと僕は思う。

 

そもそも、スティールボールランに出てくるオエコモバのスタンドである"ボクのリズムを聴いてくれ"に関して言えば、その元ネタになっている『Oyecomova(邦題:ボクのリズムを聴いてくれ)』はスペイン語になる。

 

スペイン語なんて聞き取れないのが普通なのであって、そういうことを考えると、スタンドにその名称を採用しようとも、別に歌詞の意味内容は理解しているとは限らないと考えたほうが良い。

 

わざわざ歌詞カードを手前で翻訳して意味を理解した上でスタンド名にするような人だったならば、アイ・アム・ア・ロックのスタンド能力者の八木山夜露は普通に孤独な人間になるだろうし、岩人間になることはない。

 

「I am a rock」ってそういう意味じゃないからね、仕方ないね。

 

意味は、岩のように何も感じないという感じだから、文字通り岩って話ではない。

 

ポルナレフの元ネタのミッシェル・ポルナレフもフランス語で歌っているし、歌詞の意味を理解しようという感じではないと思う。

 

ただ、『I am a rock』の場合は中学生並みの英語力でも「I am a rock」というフレーズと「I am an island」というフレーズは聞き取れるから、そのことは反映された結果、『ジョジョリオン』の八木山夜露とアイ・アム・ア・ロックが出来たと考えて不備は想定できない。

 

加えて、何処かのインタビューで確か、洋楽を聴いているのは邦楽だと歌詞が入ってきて漫画を描くときに邪魔になるって言っていた記憶がある。

 

だから、あんまり何を歌っているか気にしてないというのが実際なのだと思う。

 

それに、以前書いた『バオー来訪者』の技名の解説の記事で示したようにそもそも荒木先生の英語力はガバガバだし、そもそもジョジョって漫画自体が色々ガバガバなのだから、何か深い意味を想定してもそこにはなにもない。

 

ジョジョの読者は本当にそういう人が多いし、別にそういうことをするのはジョジョの読者だけではないのだけれど。

 

そんな感じです。

 

では。

 

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