『ぼくらの』のマキ編の解説(後編) | 胙豆

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傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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後編を書いていくことにする。

 

前編はここ。(参考)

 

マキ編の三話はこんな表紙になっている。

 

(5巻p.101)

 

この手の形とかポーズとかなのだけれど、おそらく、『マクロス』って作品が元だと思う。

 

大昔に友達とカラオケに行ったときに、『マクロスF』が好きな友達がカラオケでOP辺りを歌っていたのだけれど、その映像の中でこのポーズをしているシーンがあった。

 

だから、僕は『マクロスF』からこのマキのポーズは来ているのだろうと思っていたのだけれど、調べたら『マクロスF』の方が『ぼくらの』よりも時系列的に後だった。

 

よって『マクロスF』は『ぼくらの』とは関係ないのだけれど、調べてみたらこのポーズは『マクロス』シリーズの中で登場するのは確からしくて、『マクロスF』以外にもこの手の形が出てくる作品があるのだと思う。

 

けれども、詳しいことは分からない。

 

興味も関心もないし、見たこともないアニメについての情報なんて僕には分かるわけがない。

 

そもそもアニメ見ないからね、しょうがないね。

 

戦闘が始まると知ったマキは、両親に最後の挨拶をしに行く。

 

(5巻pp.102-103)

 

二ページ目の三コマ目で、マキが顔を赤くしているのは、やっぱり改めてありがとうというのは恥ずかしいからなのだと思う。

 

ところで、前回の最後、マキはこんな感じで戦闘の開始を理解している。

 

(5巻pp.99-100)

 

マキは何だか、"何者か"に呼ばれたかのように、戦闘の開始を感じ取っている。

 

けれども、考えてみれば"何者か"に名前を呼ばれるのはパイロットに選ばれた時であって、戦闘開始時に名前を呼ばれているという説明はないんだよな。

 

(1巻p.180)

 

パイロットに選ばれた時は名前を呼ばれるけれども、戦闘が開始するときに名前が呼ばれるという説明はない。

 

けれども、先のマキの描写は名前を呼ばれたような感じがする。

 

どういうことなの…と思って、全てのパイロットが戦闘を開始する直前のしぐさを検証したのだけれど、どうも、コエムシが呼びに来るという場合だけではなくて、戦闘開始前に名前が呼ばれている場合があるらしいということが分かった。

 

名前を呼ばれていると判断できるような描写があるのは、マキ、カナ、ウシロで、その中で特に後者の二人の振る舞いを勘案すると、声を受けているとしか理解できない。

 

チズはパイロットに選ばれた瞬間に戦闘開始だから例として扱えなくて、モジの時は、声を受けたともコエムシを見かけたから友達と離れたとも取れる。

 

(4巻pp.138-139)

 

マキにしても呼びかけがあったというようにも、コエムシが現れたから戦闘開始と理解したというようにも取れる。

 

(同上)

 

一方で、カナとウシロに関しては、声を受けたと考えたほうが良いような振る舞いをする。

 

(9巻pp.92-93)

 

(11巻pp.32-34)

 

ウシロの視線はコエムシを見たというよりも声を聴いて戦闘の開始を把握したと考えたほうが良いそれだし、カナの方もコエムシを見たとはとても言えない目線になっている。

 

ここから、コエムシが呼びに来る以外にも、戦闘が開始する際に呼びかけを受けるという場合もあると理解できる。

 

おそらくなんだけれど、鬼頭先生自身が名前を呼ばれるのはパイロットに選ばれた時で、一方で戦闘開始時はコエムシが呼びに来るという設定を忘れているのだと思う。

 

だから、コエムシが呼びに来るパターンと、声を聴いているような描写のパターンの二通りがあると考えたほうが分かりやすい。

 

さもなければ、特に本編中に言及はないけれども、戦闘開始時には"何者か"が名前を呼んでいるという設定があるという話になる。

 

けれども、ダイチ編の時は別に名前を呼ばれてないのであって、鬼頭先生の中で設定がごっちゃになっているという可能性が捨てきれない。

 

(2巻pp.73-74)

 

戦闘開始時に名前を呼ばれるのなら、ダイチのこのリアクションはおかしいから、多分、鬼頭先生の中で設定がいい加減に記憶されているのだと思う。

 

おそらく、カナ編とかウシロ編とかは、戦闘開始時はコエムシが呼びに来るという設定を忘れて、何らか呼びかけを受けるという設定として鬼頭先生が勘違いしているのだと思う。

 

僕は他に説明が思いつかない。

 

コモを見てみてもやっぱり別に名前は呼ばれていないし、敵が現れたことを理解出来ていないから、そういうことだと思う。

 

(6巻p.125)

 

話をマキ編に戻す。

 

マキはこのタイミングで呼ばれたことに対してコエムシに怒りをぶつける。

 

(5巻pp.104-105)

 

コエムシはただのアドバイザーだから、コエムシの話は正しい。

 

どうでも良いけれど、ナカマが作り切れなかったユニフォームは基本的にマキが全部作ったんだな。

 

アンコとかはあんなにしおらしくナカマを抱きしめておいて、こういう仕事はマキに丸投げなのか…と思ったけれども、これはマキがオタクだから、コスプレ趣味のオタクがコスプレグッズを作るのを好むみたいな文脈でマキがユニフォームを作っているのだと思う。

 

鬼頭先生の中でマキがハイスペック過ぎる。

 

パソコンオタクでアニメオタクで軍事オタクでコスプレオタクとか、多分、鬼頭先生の趣味が全部詰め込まれたキャラクター造形なんだろうなと思う。

 

…。

 

そんな鬼頭先生好みの都合のいい女性なんて居ないんだよなぁ。

 

その後、椅子が移動しないという話がある。

 

(5巻p.106)

 

キリエは何かに感づいているようだけれども、このことについては「「ぼくらの」のわからない所を解説してみるサイト」に言及がある。(参考)

 

親切にも席順の画像が用意されているから、しっかり出典を明記して引用しましょうね。

 

(http://sasasa.s206.xrea.com/bokurano/より)

 

マキが座っているチズの子供のベビーベッドはコダマとコモの間のこの位置にあるのだけれども、本来的にマキのものである椅子にはマチが座っていて、画像だとちょうど真ん中あたりになる。

 

戦闘開始時には真ん中に椅子は移動するのだけれど、マキの椅子は最初から真ん中にあったから座席の移動が起きなかったという話になる。

 

マキは動かせるような気がしないと言っているのは、自分の椅子ではないからであって、このことはマチがスパイであることへの伏線になる。

 

(5巻p.107)

 

キリエの意味深な顔について、あの顔はコエムシ達に何かを感づいているとしか理解できないわけであって、先のやり取りだけで何かに感づいているということは、キリエはマチがスパイで、マキの椅子を奪ってあそこに座っているということまで理解していたということになる。

 

…何でコイツ虐められてんの?

 

キリエの内に秘めたスペックが高すぎる。

 

その後、敵が現れる。

 

(5巻p.108)

 

敵はアラクネⅡ。

 

この名称は6巻のおまけに書いてある。

 

(6巻p.196)

 

基本的にアウェイ戦の時はホーム戦で戦った敵の亜種と戦っていて、アウェイであったカナ編の時もキャンサーの亜種と戦っている。

 

多分、色々デザインするのがめんどくさいとか、使わなかったデザインを捨てるのがもったいないとかそう言った理由で、アウェイでは亜種と戦っているのだと思う。

 

関さんが軍と連絡が取れないと言っているけれども、この時点ではまだ敵性存在がどんな境遇のそれなのか分かっていないから、少し先の展開のための伏線になる。

 

その後、敵は戦場を海に移す。

 

(5巻pp.109-110)

 

移動したのはここが敵の地球であって、敵のパイロットは自分の地球の街並みが破壊されることを嫌ったからになる。

 

個人的に謎でしかないのだけれど、何で『ぼくらの』の世界の人々は街中で戦闘をおっぱじめがちなのだろうか。

 

普通に、戦闘開始地点がパイロットの現在地と分かった時点で、隔離して生活させると思うのだけれど。

 

考えてみたのだけれど、おそらく、昔からロボット物は街中で戦っていたのだと思う。

 

鬼頭先生の中でロボットの戦闘は街中という考えがあって、それに沿って描写されているだけなのかもしれない。

 

あとは物語の都合として、このマキ編で演習場とかで戦闘開始すると色々台無しなのであって、そういう"都合"もあると思う。

 

この後、アラクネⅡとの戦闘が始まるのだけれども、初めジアースはアラクネⅡに押されてしまう。

 

それを見てキリエが「敵も考えてきている」と言うけれども、マキは軍事オタク、そしてアニメオタクならでは方法で現状を打開する。

 

(5巻pp.121-128)

 

プラモが好きだったりするからジアースの構造に詳しくて、軍事オタクの娘だから匍匐前進についての知識を持っていて、ロボットアニメオタクだから変形という発想を持っていて、それが故に倒せたという描写になる。

 

一部の例外を除いてそれぞれのパイロットは自分の得意分野で敵を倒しているから、マキ編の場合オタクという強みで倒したという話なのだと思う。

 

…。

 

ふと気づいてしまったのだけれど、カンジも自分の得意分野で敵を倒してたんだよな…。

 

フロイト的な文脈で男根でしかない敵(ジャベリン)を、更でっかいもの♂でやっつけるというクッソ激烈に下劣な話だったのか、あれ…。

 

一物が沖天楼だと、放出するものも凄まじいという話らしい。

 

あのさぁ…。

 

…。

 

話をマキ編に戻す。

 

マキは敵を追い詰めて、コアを破壊する直前までに至る。

 

(5巻p.132)

 

ここで一日待てないかと言っているのは、弟が生まれるまで待ちたいという話であって、コエムシがそりゃ無理と言っているのは、全てのぬいぐるみは再生機能を持っているからになる。

 

その話はココペリの時にされている。

 

(1巻p.81)

 

読者はこんな些細なセリフのことを覚えていないから、別にこの設定についてスポイルされたとも何とも思っていないのだけれども、鬼頭先生的にはスポイルされてしまったという認識でいるらしい。

 

(「特別ヘン」p.29)

 

本来的にはマキ編でこの敵の再生能力の設定が生かされるはずだったのだけれど、鬼頭先生はめんどくさくなって書かなかったと言っている。

 

個人的には、鬼頭先生の体調の改善によって、マキが抱く実存的な焦燥を鬼頭先生が理解出来なくなって、マキが直面する、弟の誕生を待ちたいけれども敵が再生するという、どちらを選んでも後悔するというキルケゴール的実存的問題を描けなくなったのだと思う。

 

…むかし、キルケゴールっていう哲学者が居て、彼は鬱病だったらしくて、彼の病状についての研究がされていて、以前そのPDFを軽く読んだことがある。

 

彼の哲学は、切迫するような選択や、救いを求めるような問いが非常に多くて、それは多く、彼の精神的な病気の発露として現れていた。

 

鬼頭先生は昔完全に病んでいて、その検証を僕は既にし終えている。

 

かつての鬼頭先生からキルケゴールのような精神的な不安定さを認めることが出来る。

 

マキ編の場合、最初の設定であった敵の再生能力が生かされる場面を考えると、マキは非常に焦燥感溢れる選択肢に苛まれるわけであって、それがなくなったことを勘案するに、そのような精神的な圧迫に基づく描写を鬼頭先生が行うことが出来なくなったと判断することはそれ程に突飛な話でもないと思う。

 

健康的になったが故に、病的な描写が出来なくなったという可能性。

 

色々書いたけれども、僕も昔のことを思いだすばかりで、正直、マキの本来抱いた焦燥をあまり今の僕は理解出来ない。

 

ただ、昔の僕はそう判断していて、今の僕もその判断は恐らく正しいだろうと考えて、その判断に従ってこの再生能力の描写のスポイルについて書いている。

 

おそらく、そのような理由だろうとは思うけれど、鬼頭先生に聞いても答えられる内容ではないし、僕もこれ以上のことは分からない。

 

『なるたる』期に抗うつ剤を飲んでいたということは大体分かっているから、まぁそうだろうと思うけれど。

 

弟の誕生を待とうとするマキだけれども、敵性地球の軍隊から攻撃を受ける。

 

(5巻pp.132-134)

 

マキは軍事オタクという設定だから、国防軍(日本軍)の飛行機にも詳しくて、その知識の中にない飛行機が出てきて驚いている。

 

物語の配置としては、いつかアウェイで戦う必要があるのだから、それを何処に配置するかなのだけれども、マキは軍事オタクという設定があるから、そのマキの時に敵性地球で戦ったなら、展開される軍の様子で自分たちの地球ではないと言及できて、それがためにマキ編の時に初めてのアウェイが選ばれている。

 

良く考えてるよね。

 

ここで3話が終わる。

 

次の4話はこんな表紙になる。

 


(5巻p.135)

 

マキの父親の背中にある飛行機が調べれば何なのか分かりそうだから、今から調べることにする。

 

調べた結果、そんな飛行機はないと分かった。

 

殺すぞ。

 

先の扉絵のイルカもそうなのだけれど、よく見るとアメリカ海軍のマークがついている。

 

(5巻p.69)

 

このイルカの場合"NAVY(海軍)"とあるのだけれど、その隣にあるマークはアメリカ航空国際標識になる。

 

このマークがついている飛行機は、アメリカに所属している飛行機という話。

 

とにかく、見た感じ軍用機っぽいしアメリカ航空国際標識もついているのだから、それならばあの名前と思しきアルファベット、"FSU-1"も、アメリカ軍の命名方式で意味を考えていいと思う。

 

マキの父親の服には"FSU-1"と書いてあって、"F"というのはアメリカの軍用機に使われるアルファベットで、航空機の場合、戦闘機にはFというそれが頭文字に使われるらしい。(参考)

 

で、そのページの情報を元に、残りのアルファベットの意味を考えると、Sは潜水艦を攻撃するという意味で、Uは汎用利用を意味しているらしい。

 

だから、あの飛行機は戦闘機で、基本的に潜水艦撃退のための戦闘機だけれども、それ以外にも使う戦闘機であって、その一つ目のシリーズという意味で"FSU-1"という名称を持っているという事になる。

 

…どんな用途の兵器だよ。

 

頭文字のFが戦闘機を意味していて、次のSが潜水艦攻撃用の兵器を意味していて、次のUが汎用機を意味していて、そのシリーズの一番目だから1とついている。

 

よって、FSU-1。

 

一応、クソ真面目に意味を考えたらそうなるのだけれども、鬼頭先生がそこまで理解してあの絵とアルファベットを描いているとは個人的に思えない。

 

それっぽいアルファベットを並べただけな気がしてならない。

 

(同上)

 

実際のところは良く分からないけれども。

 

・追記

知らなかったのだけれど、対潜水艦用の航空機というものが存在しているらしい。(参考)

 

ただ、潜水艦攻撃用というより潜水艦探索用の機体で、それがためにパトロールから来ているPというアルファベットが基体名には使われるって書いてあった。

 

詳しくはリンク先を読んだほうが早い。

 

確かに、上空から潜水艦を探す飛行機と言われれば、そういうこともあり得るよなと思った。

 

今だと原子力潜水艦はミサイルとか積んでいるだろうけれども、昔は対空の装備は持ってなかったわけだから、鬼頭先生が描いたようにずんぐりした機体でも問題ないのかもしれない。

 

・追記2

これを書いた一年以上後に、フライングパンケーキという愛称を持つXF5Uという戦闘機の存在を知る。

(参考)

 

鬼頭先生が描いた戦闘機は、これを意識しているのだろうと思う。

 

(同上)

 

…意識してるも何も、並べたら同じものっぽくて、下のアルファベットが適当なそれなのだろうなと思う。

 

追記以上。

 

マキ編に話を戻すと、マキが知らなかった戦闘機は、空軍所属の田中さんにも分からないらしい。

 

(5巻p.136)

 

描写としては空軍所属の田中さんすら知らない飛行機という話なのだけれど、読者の中で田中さんが空軍所属だと理解してる人なんていないと思う。

 

マキは、そもそもの疑惑として敵は自分たちと同じ境遇の人々なのではというそれがあるから、実際に開けて確かめることにした。

 

(5巻pp.137-141)

 

何処で読んだか忘れたけれども、この描写について、似たようなことをウシロ編でやるのであって、ここで開けたら敵に逃げられてしまうから破綻しているという意見を読んだことがある。

 

普通に、ここで逃げても敵の地球の負けは揺るがないから、"よっぽどの事情"がなければ逃げても無意味だから何も破綻していない。

 

ウシロの時は"よっぽどの事情"があったから逃げ出したけれども、逃げても結果は変わらないのだから、逃げるという選択肢を選ばなくても不思議ではない。

 

敵のコアに人間が乗っているのを見て、マキはコエムシに自分たちが何と戦っているのかを問いかける。

 

コエムシは平行世界同士で戦っていると言う。

 

(5巻pp.142-144)

 

この平行世界という話は、物理学とか論理学とか哲学で出てくる概念になる。

 

…ここに平行世界という概念について色々書いていたけれど、思い直して全部削除した。

 

こんなところで哲学という学問の不誠実さについて言及しても仕方がないと思い直したから、しょうがないね。

 

まぁ、平行世界という発想はSFとかで良く出てくるし、鬼頭先生もそういったSF作品とか『ドラゴンボール』とか、工業大学出身だから大学の授業とか、さもなければ物理学や量子力学の本で知ったから『ぼくらの』で出てくるんだと思うよ。

 

元々はアリストテレスの言及の中にもあって、かなり歴史の古い情報になる。

 

鬼頭先生はアリストテレスなんて知らないけど。

 

マキ編に話を戻すと…といっても、大して解説できるところがねぇなぁ…。

 

マキが今まで何人殺したかを聞くのだけれど、『ぼくらの』の人口についての話は既にしちゃったしなぁ。

 


(5巻pp.144-145)

 

この100億ごとって言うのはそんなに難しい話でもなくて、純粋に鬼頭先生はキリの良い数字に色々設定するから、この人口についても100億というキリの良い数字にしたというただそれだけの話だと思う。

 

まぁパイロットの身長とか、5cm刻みだしな。

 

この後、戦闘の勝利条件の話が続く。

 

(5巻pp.147-148)

 

この勝利条件の細かい話は、コモ編やウシロ編で生きてくるから、その布石として描かれている。

 

敵のパイロットを殺すということでしか勝てないということが、後々に重要な意味を持ってくる。

 

この後、マキは全てを受け入れて、弟のために敵の地球を抹消することを選ぶ。

 

本来的にここで敵の再生能力のせいで酷く悩むはずだったのだろうけれど、本編ではその悩みはなくて、けれどもマキは決断する。

 

(5巻pp.156-158)

 

そして、自分たちの地球に帰るのだけれど、それに際してマキは弟の誕生を光として見ることになる。

 

(5巻pp.160-164)

 

こうして、マキの戦いは終わる。

 

そして、次のパイロットとしてキリエが選ばれる。

 

(5巻pp.165-166)

 

キリエが戦えないと言っている理由は、自分の地球が守るに値するか分からないからなのだけれど、詳しくはキリエ編に書く。

 

キリエは、マキとの戦闘で星屑のような人の命の光や、名前も知らない人々を見る時に思うところのある顔をしている。

 

(5巻p.152)

 

おそらく、キリエにとってはそのような名もなき大衆こそが感情移入の対象で、その人々が死ぬという事態について思うところがあるのだと思う。

 

キリエ編はそんなキリエが、自分の地球のために戦うか、戦わないかを悩む話で、鬼頭先生の独特の倫理観と宗教観が登場する。

 

次回は僕がその鬼頭先生の倫理観と宗教観をボロクソに言う回です。

 

ちなみに、マキ編の次にキリエ編なのは、キリエの問題が自分の地球を生かすか敵の地球を生かすかというそれであって、敵がどんな存在か分かった次の回という配置は、キリエがそのことに悩むために考えられている。

 

パイロットになる順番は熟考されていて、開示されている情報と構築されていく状況に基づいてそれぞれの物語が想定されている。

 

キリエがこのタイミングなのは、これより後はマスコミに知られるという状況に事態が変わってくるからで、その事態の変化はキリエ編に登場する畑飼の仕業だからで、そういうことをしっかり考慮して戦闘順は決められている。

 

マキ編は以上になる。

 

書いてみての感想は、特に戦闘機について調べている時が苦痛でしたね…。

 

興味がないことを0から調べるのは苦痛なんだよなぁ。

 

ただでさえ書くことは大分苦痛なのだから、僕に催促したり、要求したりといった、僕の苦痛を増すような行為は、やめようね。

 

そういうことが起きる度に、更新が遅れます。

 

書くだけで今回とか計6時間以上かかっているし、その作業も比較的苦痛なんだから、これ以上僕を煩わせないでほしい。

 

そんな感じです。

 

では。

 

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