・追記
全部書き終わってからこの一文は書いているけれど、以下ははっきり言って生理的嫌悪を催しかねない内容になっている。『不都合な真実』ってタイトルにしようかと思ったけれど、別に不都合でもなければ真実とも限らないから、変えた。ただ、とにかく読んでて気分が悪い内容だと思う。
さっき僕はショタコンだから、おねショタ物のそういうものを大変にこやかに読んでいたのだけれど、ある一つの可能性に気付いて一瞬にして真顔になった。
ある一つの悍ましい可能性に気付いてしまった。
あまりに悍ましすぎて、けれどもその捨てきれない可能性のために、心を落ち着かせようという意味も込めて日記を更新する。
人間は生物です。
全て進化と呼ばれる現象の結果、形質や性質は獲得されています。
その中で、名残というものがある。
指と指の間に水かきのようなものがあるのは水中に居た頃の名残というけれど、どこまで正しいんでしょうかね。
けれども、尾てい骨という確実な名残が存在する以上、今はもはや一切必要性がなくてもそれが残っている形質や性質があるということ。
それでね、今回は悍ましいそれの可能性を見出した。
基本的に生物の構造、当然人間の構造も理由がなっている。
例えば、母乳が出ている期間は女性は妊娠しない。
理由は普通に乳児と胎児を同時には育てられないから、ということだと思う。
少なくとも構造として、母乳が出ている範囲では妊娠しない。
だから、戦国時代には乳母という役割の人が居て、乳母に母乳を与えさせて、本人は与えないことにより母乳の分泌を切り上げて、次の子供を妊娠させていた。
母乳って出そうと思えば確か二年くらい出せるんじゃなかったっけ?
クラスに居たような年子の兄弟とかは、きっとミルクで育ったんでしょうね。
乳母の話を動物に置き換えると、なんだか牛や馬と同じレベルで繁殖させられているという印象を受ける。
けれども、どちらかというと印象の方が間違っていて、根本的に僕らは牛や馬と変わらないそれでしかない。
基本的に習性としてというか、哺乳類でしかないのだから、そのレベルで全てのことが成り立っている。
例えば、反抗期があるけれど、普通にあれは近親相姦を防ぐためにある。
未だに僕はそう言明している資料を読んだことはなくて、やれ自立の為の段階だとか、心理学の用語で何々と言ってだとか、言葉遊びで誤魔化して、聞こえの良い上品な、というよりPTA的な問題としてそれを扱っている。
けれども、普通に僕らは生物なのだから、習性としてその特性の獲得について合理化しなければならない。
もし、目の前に小動物が居て、ある時期を越えた子の個体が、親に寄りつかなくなると言ったような行動をしたならば、普通にそれは近親相姦を防ぐための機能として判断されて文脈化されるだけであって、人間では何故そうしないか分からないし、そうではないという理由を導き出せない。
よって、反抗期は近親相姦を防ぐための機構として判断している。
ここまでは随分前からそうと考えていたことになる。
けれども、さっき悍ましいとしか形容できない可能性に辿り着いた。
その可能性に辿り着くには二つの契機があった。
それは一つに『失われた範列』というえエドガール・モランという哲学者の本に書かれた、「人間の子供時代は他の生物に対し長すぎ、母親と期間が非常に長い」という記述だった。
『なるたる』の解説のためにこの本を途中までとはいえ読んだけれど、しっかり頭に染み込んでるんですね、内容。
まぁ、モランの言っていることはこのことに関しては正しい。
前後するモランの議論はどうでも良いし、ここでは重要ではないから触れないけれど、糞みたいな本だったよ。
もう一つの契機は、Wikipediaの「精通」の記事だった。
なんでそんな記事読んだの?と思うかもしれないけれど、ショタコンだからだよ文句あるかこの野郎。
で、その精通の記事にこんな話があった。(参考)
何て書いてあるかと言えば、精通の後一年くらいは精子は活発ではなく、最初期は97パーセントまで不活発であるという。
読んだ時は、へー、以上に感想はなった。
いや、なんで不活発なんだろうねとは思った。
だって、初潮だったならば、体が未発達ということがあるから、生理に不順が生じるのは仕方ないと思うし、そうなったとしても別に道理に適っている。
けれども、射精の場面だったら、実際に精子が作れているなら出せばいいだけなのだから、体が未発達でも関係ないし、なんで精子が不活発なんだろうなぁ、とは思った。
それ読んだ時はこれで終わる。
けれども、問題は今日。
その二つの契機というか要因が下地にある状態で迎えた今日。
ほんの数十分前。
僕はちょっとした漫画を読んでいた。
おねショタ物の漫画だった。
ショタコンだからね、仕方ないね。
内容は筆おろしものだった。
それを満面の笑みで読みながら、少年がそれをしているシーンを見て、ふと先のWikipediaの記事を思い出す。
これくらいの少年のそれは、きっと不活発だろうから。
なんで不活発なんだろう。
ここで、反抗期がなぜ起こるか、モランの議論、Wikipediaのあの記事が、言語になる前の言語で結合される。
僕は結合の瞬間、あまりの悍ましい可能性に真顔に戻った。
何故精通後はしばらく精子が不活発である必要性があるのだろう。
精子それ自体は作れている以上、20か月も不活発なそれを生成し続ける必要性はない。
けれどもし、不活発であった方が都合が良かったとしたならば。
僕はその可能性に気付いた。
『失われた範列』には、断片的でそれだけでは何とも言えないのだけれど、ある信じ難い記述が存在した。
それは人間の染色体が46本の理由。
類人猿は48本なのだけれど、人間はそこから減り46本しかない。
僕は高校生の時からこのことがずっと疑問だったけれど、モランはその答えを示唆していた。
その染色体の減少は、近親相姦の結果らしい。
実際、しっかり文献を確かめてはいないのだけれど、近親相姦を繰り返すと染色体が減るということが起こるらしい。
中国のある家族で染色体が44本である男性が見つかって、その家族は近親相姦と言える近親婚を繰り返していたらしい。
モランはあくまで父-娘間の近親相姦だと言っているのだけれど、その一文しか言及がなかったから詳しくは分からない。
けれども、過去の人類に於いて近親相姦が起こったらしいという一つの可能性が示唆された。
僕はこのことについてまだ半信半疑で、しっかりと自分で文献を読まない限り正しいと判断できない。
けれども、近親相姦が一つのあり得る出来事として浮かび上がってくる。
そして、他の動物では見られない程に人間は母親と生活を共にし、精通後かなり長い間、不自然に精子が不活発な時期がある。
この不自然を自然にするにはどのように考えればいいか。
僕はそれに気付いた時、おぞましさでどうしようもなかった。
セックスというものは、勘違いしがちだけれど、ミームであって、知ったり教わったりしない限りその行為を行うことは出来はしない。(『子殺しの行動学』)
あるドイツの夫婦は教会に行って神父に子供が出来ないのだがどうすればいいかと相談しに行き、最終的にセックスをしていなかったから子供が出来なかったと分かったことがあった。(ラッセル『結婚論』)
つまり、セックスは学習することでしか獲得できない。
じゃあ、どうやって学習するのだろうか。
僕らは普通に色々な機会で学んだ。
けれども、人類のある時期では僕らとは違う学び方をしていた可能性が表れてきた。
それは母親に教わるというあり方。
母親とそれをすることにより、学習するというあり方。
いやー、キツイッス。
精子の製造が可能になってから、一年以上不活発なそれを作り続ける必要性と必然性が一切ない。
けれども、それに必要性と必然性があるとしたならば、どうだろう。
ここで僕は精通と反抗期のラグに着目する。
なんかググっても碌にデータ出てこなかったから、用いることが出来るのは自分という指標だけでちょっと信用には置けないけれど、少なくとも僕の場合はそれにラグがって、精通よりだいぶ遅れて反抗期が訪れた。
まぁ、反抗期は中学生に特有なもので、精通は小学校5~6年とか中学一年で起きるものだから、大体そのようなラグはあると思う。
データでしっかり確かめたかったけれど、そんなデータはウェブ上になかった。
けれども、恐らくラグはある。
そこに必然性はあるのだろうか。
そのラグと、精子の不活発な期間についての不自然さを自然として語る方法がある。
それは、母乳を分泌している期間、母親が妊娠しないように、母親が息子にセックスを教えている期間、息子の精子は母親を妊娠させることが出来ないという可能性。
現在ではその習性は失われたけれど、その名残として未だに精子が不活発な時期が続くという可能性。
それにひぐま屋読みながら一瞬にして辿り着いた僕は、普通に真顔になっちゃったから、それ以上読めなくなってしまった。
人類はある時期、それも遺伝子に組み込まれるようになるほどのかなりの長期間、母子間のセックスの教示が行われていた可能性がある。
だとしたならば、別に染色体の減少が近親相姦の結果だったとしても、何一つおかしくなくなる。
どういう理屈でモランが父-娘間の近親相姦と言ったのかは知らないけれど、もし事実として近親相姦の結果で染色体の数が減少するというのならば、それはただの事実として受け入れなければならない。
特にこれの場合は不快感が強すぎて、そうであってほしくない願望が強くあるから、特に注意して問題を見ていかなければならない。
そして、もし染色体の減少が近親相姦の結果だったならば、そのような染色体の数が少ない個体はその親と子のセックスの結果で生まれた子ども達しかいないので、その子供たちの間でまた近親相姦を行わなければならない。
本当に数世代は、近親相姦を繰り返し繰り返し行ったとしなければならない。
まるでソニー・ビーンみたいだけれど、事実は小説より奇なりということなのだろうか。
そもそも、事実であるとまで言い切れないし、反吐が出そうな話ではあるけれど。
あ、ちなみにソニー・ビーンは創作みたいっすよ?
まぁ、原理的には不可能ではないのだろうけれど。
という話。
何処まで正しいんでしょうね、今回。
僕の専門は…何なんだろう。
とにかく、このような理系分野は専門ではないので、専門的な話は分からないのだけれど、可能性が捨てきれない。
要するに、精通後のしばらくの精子の不活発期間に他の説明があるのならば、今回の全ては妄想で終わる。
あぁそうそう、原理的な「〇〇という構造でそうなっている」ということではなくて、「〇〇という目的のためにそうなっている」という説明ね。
その事に利点がなければ、その遺伝的特質が残ることはあまりない。
むしろ、精通の話に関して言えば、より早い段階から子孫を残せるほうが有利なのだから、精子が作れるようになったら精子が活動している個体の方が遺伝子のプールで有利に働く。
もし、身体が未発達で配偶者を養えないからという猶予期間だとしたならば、そもそもそれまで精子を出す必要はないわけであって、わざわざ不活発の精子を作る期間を設けることに、進化論的な戦略が見いだせない。
進化論的な戦略ってのは、そうすることで有利になるようなという意味で、精子が不活発の期間が存在することでそれを行う個体の遺伝子の存続が有利になるようなことを言う。
つまり、母親にセックスを教わるような個体は生存がしやすく且つ、母親との子供が出来ないような個体は遺伝子を残す際に有利だったということが想定できる。
近親相姦は奇形を誘発しやすいのは確かな事実で、遺伝子の戦略上避けられる。
その形質に有利性がなければ、その形質を持つ遺伝子と個体群は失われていく。
だから、今は失われた有利性かもしれないけれど、過去に有利性が存在したという事実なしにそのような形質は考えられない。
そうでなければ獲得されないから。
と、するならば、精通後のしばらくの精子が不活発の時期にどのような遺伝子上の戦略が存在したかという話で、恐らくはということ。
そういうこと。
エロ漫画読んでここまで考えりゃ大したもんだと思った。(小並感)
読んでて不快だったと思うけれど、書いている方も不快だったよ。
まぁ、見たいものを見続けていられるのが人生じゃないから、多少はね?
ちょうど一時間なので、では。
・追記
これを書いた四年くらい後に内容について好意的なコメントが寄せられた。
なので、四年後に改めて読み直してみたところ、少し補足しなければと思ったところなどがあって、それについて多少書き足すことにする。
まず、四年前の僕が書いた内容だから少し古い理解であるところが散見出来たので、コメントを受けてから細かいところを修正しておいた。
まぁ断言口調だったり、進化論的な単語の用法が少しずれてたりしたからそのようなものを訂正した程度で、9割8部の内容は変わっていない。
加えて、人類の染色体の減少について、この記事自体で半信半疑だという言及になっていたけれど、その辺りについて4年の月日がより正確な理解をもたらしたので、そこについても色々書いておく。
まず、人類の染色体の減少と、母子間とのセックスとは関係性がないと思う。
別に近親姦がなくても染色体は減り得るし、染色体が減ったところで別に場合によっては生殖して子供を作ることも可能であって、人類は過去にそのようなことを経験しただけになる。
まぁ隣同士の染色体がくっつくという突然変異を持った個体が進化論的に成功したというのが人間の過去の姿で、その事は特別なことでも何でもなくて、染色体の数が違っても変異の仕方によってはどうやら、生殖して子供を残すことが可能であるらしい。
そもそも、近親姦だけで遺伝子の変異が起きるわけでもないし、ただ普通に生殖してても遺伝子の変異は起こるわけであって、その個体が僕らのご先祖様という以上の話はない。
全ての人間は20以上の致命的な遺伝的欠陥を何らか持っているような存在で、その事に近親姦は関係ない。
人類の染色体の減少に近親姦が関係したと説明できる根拠はないし、そもそも近親姦を避けるために精通後しばらくは精子が少ないという話なのだから、その話は矛盾するところであって、僕が精通後の精子の少なさの理由を思いついたときにそれが材料となったという以上の話はなくて、その事に近親姦は関係性を持っていない。
まぁとはいえ、どうやら人類は数百万年前から母子間の近親姦をしていたらしいと後に分かったので、別にこの記事の論旨が否定されたということはないのだけれど。
次に反抗期についてなのだけれど、これはもしかしたら日本に限定した文化的な風潮なのかもしれないという話がある。
なんか、カメルーンには反抗期という発想がなくて、もし子が親に歯向かおうものなら、悪霊に憑りつかれたと思われてしまうような出来事であるという話を読んだことがある。
だから、現状だと反抗期というものを人間の先天的な形質として扱うことが出来なくて、1980年代とかは学校の校舎のガラスを全部割ったりすることが持て囃されていた時代があって、その文化の後に僕らは生きているから、そのような親世代についての反抗を良しとする文化的な伝統に日本人は生きている故に、日本の子供には反抗期があるという可能性もある。
まぁこの辺りについてはカメルーンが特殊で、人間は基本的に反抗期を持っているという可能性があるから何とも言えない。
ググったら英語で反抗期という発想はあるらしいということが分かったので、やはりカメルーンが特殊なのかもしれない。
ともかく、4年間の間に理解が変わったところもあるから、そこについて言及しなくちゃなと思って書き足しています。
それと、この記事にはリンクを設け忘れていたのだけれど、この記事には続きがあって、やはり人類は母子間の性交を経験していた可能性が捨てきれないということについて書かれた記事がある。
今読まれているこの記事自体はまぁ、エロ漫画読みながらお前は何考えてるんだよというネタ記事でしかないのだけれど、母子間の性交についてはそうであるという可能性はやはりあって、4年後の今に読み返してもそういうことはあり得ると思う。
…本来的にこういう人類の形質についてをやるために色々な本を読んでいるのだけれど、最近は仏教だの儒教だのの話ばかりで、何やってるんだろうなぁという虚しさが本当に強い。
まぁ色々仕方ないね…。
この記事の続きに当たる記事のリンクはこれ。(参考)
以上です。