回る廻る車輪、流転し続ける群像 | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

朝の七時にひよこ豆を買うために自転車で家を出る。

救貧食オブひよこ豆が切れた。

学習院小学校の近くを走っていた時に、普段は渡らない横断歩道が青から赤へ変わりかけていた。

あ、ここ渡っても良いな、ということでハンドルを切る。

ここ数日雨が降らなかった日はない。

当然、今日も路面はぬれている。

転倒する。

全身をしこたま打つ。

籠が変形する。

特に左の太ももを強打する。

とても痛い。

あれから7時間経つ。

触ると右より明らかに腫れている。
 


さて、日記を更新するわけだけれど、書くことなんざありはしない。

一応ね、一昨日書いてはいるのだけれど、眠気まなこを擦りながら小難しいこと書いたから、話があっちゃこっちゃ行ってて、とりあえずこれは公開しないで良く寝てから読み直そう、と思っていたのだけれど、碌に寝れない日が続いたから読み直してないし、今さら読み直す胆力もない。

素直に哲学における真理という概念の不毛さについてだけ書いていればよかったのに、その為に必要とも限らない事を延々と書いてしまったために、そんな判断力が落ちている状態ですら「これは公開できる内容ではないかもしれない」と思ってしまう程のものしか出来なかった。

一時間で5500字も書いたのだけれど…ね。

さて、今日の日記は何を書こう。

ここ数日おうちにいる。

色々ね、色々ね…

本来的に授業とかがあれば外出せざるを得ないのだけれどそれもないし、こんなに雨が続いているのだから、外出するにしたって僕は自転車でどこかに行くくらいしか外出できる契機もないというのに自転車に乗れない。

本当に暇で暇で仕方ないのだけれど、だからって本を読むかって言えば別に読みたい本はない。

これ書いたらラッセルの『幸福論』の続き読むけど。

何人かの哲学者の本を読んだけれど、ラッセル以外役に立たなそうな本が多い。

別に他の哲学者の本もさ、哲学においては重要なのだけれど、哲学という前提がなければあまりにも価値がない。

で、僕は哲学に価値を見いだせないから、そうとすると哲学書はなぁ。

さて、余談が多くなってしまったけれど、いや、以下も余談みたいなものなのだけれど、藤沢に行ってきた話を書こうと思っている。

まぁ、あのサイトに書いた通りで良いのだけれど、本来的には「劈く日差しと木陰のぬるい風を感じて」の様な形であのサイトも書きたかった。

けれども、普通に考えてあのさを読んでいる人はそのようなものを欲していない。

だから、本当に結果だけ書いた。

よって、以下では別に結果は書かないけれど、普通にあの日の事を思い出しながら書いていく。

そういえば、その前段階として、自転車で秦野に帰ったわけだけれど、相当辛かった。

何が辛いと言えば、まぁ、引きこもり程度の体力の人間が行く距離にない。

距離も距離だし、何より勾配がふざけてる。

僕は携帯のナビ機能を使っているのだけれど、それは勾配について情報も知ることが出来て、秦野に入る直前で信じられない勾配が存在することが認識できていた。

実際に行ってみたのだけれど、もう、自転車は漕げなかった。

というか、その坂の道中に、自転車の後ろの部分に「自転車日本一周旅行中」とか書かれた大学生と思しき自転車乗りが居たのだけれど、坂の中盤くらいでグロッキーな状態でうなだれてた。

心底仕方ないとは思ったのだけれど、こんなところでへばってて彼は日本一周できたのだろうか。

僕はその坂を自転車を押しながら歩くわけだけれど、いやね、普通にもっと早い段階でこの坂に差し迫ることが出来たなら、あるいは超えることはできたのかもしれない。

けれど、この時点で勾配の激しい道を60キロ以上走ってる。

もう無理。

『のりりん』の主人公みたいに毎日乗っているわけでも、ロードバイクに乗ってるわけでもない。

普通にママチャリなんだよ!

で、その坂は自転車を押していくわけだけれど、それでもここはしんどかった。

よし、この坂を「ロリコンクシュ山脈(ヒンドゥー語でロリコン殺し山脈)」と名付けよう。

僕がロリコンだったら死んでたな。

道中の人はロリコンだったんだろう。(偏見)

良かった…ショタコンで。


ということが秦野に行く前。

で、藤沢に行くのだけれど、秦野から行く。

秦野は結構山の方にある。

というか、四方が山に囲まれている。

ドラクエ4の主人公の住んでた村みたいに。

藤沢は海の方だな。

そんな辺鄙な場所から藤沢に向かうのだけれど、向かってる時点で将来に対する漠然とした不安を覚える。

いや、全然漠然としていなくて、なんというかもう、秦野市内での道中は全て川下りしていた。

ということは、帰りは全部川上りであって、しかもその川上りは、往復60キロの藤沢への道中と、藤沢市内の検証の数キロを行ってきた上で待ち構えるということになる。

もうね、既に経験しているから、それがもう、ね。

で、藤沢に着くのだけれど、道中はやたら意識高そうな自転車乗りが多かったよ。

そりゃあ、行政も自転車乗りに対する法律増やすわ、ってレベルで。

特にそこについて面白い話はない。

藤沢市内について、ラーメンを駅前で食ったけど、如何にもチェーン店という味だった。

やっぱり、個人経営じゃなきゃ、こんなラーメンしか食えんわな。

飯食ったらとっとと図書館を目指す。

ちょっと迷子になったけれど、仕方ない。

で、実はこの時点で結構期待していたのだけれど…ね。

外側を観察して、まぁ、微妙とは言えまだ違うとは言い切れない。

そこで中に入るわけだけれど、何だろうねーこれ。

微妙。

イメージと違う。

けれども、全てを見ないと分からない。

もしかしたら、イメージに合うところがあるかもしれない。

全て立ち入れるところは見てきたけれど、あんまりなぁ。

全体的に本棚が低い。

だけれどもこればっかりは僕の努力の問題ではないのでどうしようもない。

そう言えばたった今思い出したのだけれど、美園が勤めている大学のモデルってどこなのだろう。

 

 


(鬼頭莫宏『なるたる』2巻 p.146)


捜せばありそう。

ちなみに、藤沢には慶応大学があるのだけれど、慶応の湘南藤沢キャンパスの画像で調べたけど、なんか似てないな。

というかこの時点で湘南藤沢キャンパスあったのだろうか。

だとしたら、もしかしたら鬼頭先生の母校なのかな…?

まぁ、もう飽きたから調べないけど。

で、図書館が見終わったから、次は…えーと…川に行ったのか。

地図通りに川に行ったけれど、ふっつーに住宅地で河川敷無いのな。

これは困った…と思ってとりあえず上流を目指す。

上流に行ったなら、一応河川敷は存在したのだけれど、微妙。

ただただ微妙だから、記事書くときどうしようかなぁとひたすら悩んだよ。

この時点では『のりりん』の舞台について書いてないからさ、鬼頭先生が漫画で出てくる町を完全に再現するかどうかなんて知らないからさ、完全に再現するものだと考えていて本当に困ってた。

けれども、事実の前には全てが、そうした期待や想定、こうあってほしいやこうだったらいいな、は無意味にして無価値なので、あとで記事を書く時に考えればいいと次を目指す。

一応、川上の方へ向かってなるたるの舞台足り得る場所を探したりしていたのだけれど、どんどん鄙びて行ってしまって、途中であきらめた。

まぁ一応、最初にたどり着いた場所は聖園女学園から近い場所だから、なるたるの舞台足りえたのだけれど、それ以上川をさかのぼると、学校から遠くなりすぎる。

なので見切りをつけてて次の目的地である病院を目指す。

で、その病院を目指す道中で神社を見つけたけれど、これはもう、写真はめんどくさいから持ってこない。

病院はなんか受付でね、お見舞いする人は手続しなければいけないみたいだったのだけれど、そんな事できない。

なので、堂々としてれば何も問題ないだろ、と思って堂々と手続しないで病院内を歩き回る。

やましい事なんて一切ないからさぁ…

で、エントランスを探すけれど見つからないし。

なんか病室の形もなるたるに出てくるそれとは違うなぁ。

だったらここはなるたるの病院ではないのだけれど、この時点ではなるたるの病院だと思い込んでいる。

偏見て怖い。

あとで熟考して、なるたるの舞台ではないと結論付けたけれど、こういう偏見に基づく誤った認識がありとあらゆる場面で生じているということが恐ろしい。

僕は考え直す暇があるから良いようなものの、そうでなかったら偏屈に最初に得た認識に従ってしまう。

ちなみに病院の中を彷徨ったけれど、看護師さんと何度もすれ違って何も言われなかった。

持ってないんだけどなぁ、お見舞いする人がぶら下げるカード。

で、見終わったから次を目指す。

次は小学校だな。

でもその前に、藤沢という町はやたらに団地があった。

いや、恐らく、秦野だって団地はありふれているのだろうけれど、僕がこのように町に対して視線を向け始めたのはここ一~二年になるので、東京以外の風景というものに対しての認識が多くない。

実際の所、東京にだって団地くらいあるのだけれど、藤沢はやたらに多く感じた。

多分、秦野にだってやたら多いのだけれど、こういうのってやっぱり、先入観がこれに与えるものが多いのだと思う。

ほら、団地が目に入るとさとみの団地との関連付けがされて記憶に残りやすいし。

やっぱり客観的な視点て至極難しい。

小学校に行ったら、少年たちがサッカーしてたのは以前書いた通りだけれど、僕は平然と入る。

前回行った時は金曜日だったからさ、子供たちは遊んで居たけれど、大人はいなかった。

だから憚られてあんまり侵入しなかったけれど、今回は大人が居る。

まぁ、大人が居なくても普通に入って写真撮るつもりだったから別にそこは変わらないのだけれど、大人が居ることによって心の重荷が取れた。

で、くまなくなるたるの舞台足り得る地形を探すけれど、ない。

クソミソな結果に終わってしまった。

まぁ、ある意味想定内。

さぁ、帰ろう…

 

 

 

 


(岩明均『ヒストリエ』2巻p.46)


その前にカラオケで一時間歌おうとしたけど満室だった。

何でカラオケかといえば、なるたるでもカラオケのシーンが二巻であったから…

で、歌えないからとっとと帰る。

この時点でだいぶ体力ないけれど、帰らないという選択肢はないので帰る。

辛かった…

行きに想定していた通り辛かった…

ひたすら川を上った…

途中公園のベンチでうなだれてた時もあった。

もう、最後の方自転車を押す元気すらなくなってた。

でも帰れたから上々。

そんな藤沢行。

で、しばらく後に自転車を東京へ持って帰る為に秦野から四ツ谷に向かう。

何というか感想は、ただ楽だった。

本当に無休憩で5時間で着いたからね。

途中、ヤングジャンプ立ち読みしてたけど、立って読んでいる以上、全然休憩になってないし。

恐らくはその二日前に小田原に秦野から行ったことによって体力が増えていたから。

小田原はつらかったよ。

特に秦野と隣り町の境が。

小田急線に乗ったことがある人は分かるだろうけれど、小田急線は途中で人外魔境に入る。

その人外魔境あたり。

あと、今回は坂を上るのではなく下るのだから、それはそれは楽だった。

それで秦野から四ツ谷に行く途中、多分横浜当たりなんだけれど、川に差し掛かる。

で、川の名前を良く見ると…というかなんで良く見ようと思ったんだろうね。

でもよく見るとこんな事が書いてある。

https://twitter.com/narutarunogazou/status/619028590949068802

境川だった。

はー、じゃあここ下ると藤沢なのか…

と感慨深くなる。

まぁ、そんな体力もないしもう見るものもないからとっとと帰ったけれど。

そんな感じのある6月の日々。

これが本来的にあのサイトに書きたかったことになる。

けれど、なんか癪だったから結果だけ書いた。

いや、癪だったというよりはね、こんな情報は読んでいる人は要らない。

だからこういう風に書きたいという気持ちはあったけれど、結果だけ書いた。

あと、なるたるについて…随分前から絶望的な記述を見つけていた。

それがどんな記述かといえば、これになる。
 

 

 


(『なるたる』12巻p.4)

都内ってしっかり書いてある。

これをどう理解すべきかって事なんだけれど、理解の仕方は三つ。

一つは都内に避難勧告が出されているというだけで、別に緊急事態であることは変わりないので藤沢も非難が始まっているということ。

二つ、あくまで上のシーンは東京での出来事で、シイナの町は関係ないということ。

三つ、なるたるの舞台は都内だということ。

まぁ、ね。

最も分かりやすいのは藤沢はモデルとしているけれど、なるたるに出てくる町は都内にある、だろうね。



この事はあのサイトに書いた方が良いのかなぁ。

もう、金輪際あのサイトを更新したくないのだけれど。

そんな感じです。

ではまたいつか。