太平洋戦争史と心霊世界 -21ページ目

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


 先日東郷神社(東京)について取り上げましたが、ついでに東郷元帥記念公園にも行ってきました。



東郷元帥記念公園1  東郷元帥記念公園。

 

この時は靖国神社の訪問ついでに行ってきたのですが、公園は九段下の靖国神社から徒歩数分の距離にあります。


東郷元帥記念公園2 

 「東郷元帥」と名が付くので、中は落ち着いた公園なのではないかと思いがちですが、実はお子ちゃまご用達の子供公園です。子供用の遊具などが置いてあり、訪問当時は子供たちが大勢遊んでいました。

 

以前ここに東郷元帥の私邸があり、その後東郷元帥記念会から寄付を受け、子供公園となりました。

 

あ、そうか、東郷邸は靖国神社の近隣にあったから・・・。

東郷元帥  映画「日本海大海戦」で、東郷元帥夫妻が靖国神社に参詣する場面が最後にあります。これも自宅から近いので、歩いて行ったのでしょうね。

 

 私邸も靖国に近くて参拝しやすいということで、この地に決めたのかもしれませんね。真意は分かりませんけど。


東郷元帥記念公園3 

 公園の入り口付近には、東郷元帥の私邸であった当時から置いてあったライオン像が保存されています。


東郷元帥記念公園4 よく見ると満身創痍、隻眼になっています。


東郷元帥記念公園5  東郷元帥記念公園の由来が記された石碑。ちょっと見えにくいですね。

 

 もともとこの土地の一部は、昭和4年から公園だったそうです。東郷元帥の私邸は公園に隣接していましたが元帥の没後、東郷邸であった敷地の寄付を受け公園に併合され、昭和13年に「東郷元帥記念公園」と名付けられました。

 

 公園の歴史は意外に古いです。東郷元帥は明治14年よりこの地に住み続け、「永く区民から親しまれ、地域の文化向上にも寄与し人々の尊敬のうちに昭和988歳の生涯を閉じる」と石碑には刻まれています。



東郷元帥記念公園6 

東郷邸の時代からあった「力石」(右側)


東郷元帥記念公園7  力石。石の表面に漢数字「五拾七貫目」(213.75kg)と刻まれています。

 

 力石とは村の鎮守や神社境内、会所や村境にあって、若者たちが力試しに用いたそうです。

 

   神社にあったという事で、娯楽の少ない時代の神事か何かのイベントだったのでしょうか。 


 

かもめの玉子 

石を見ていたら思わず、「かもめの玉子」というお菓子を思い出してしまいました。σ(^_^;) 岩手県大船渡市のお土産らしいですね。誰かにいただいた記憶が・・・。



東郷元帥記念公園8 

 公園も今昔の推移が激しいです。戦前は東郷邸をはじめ、この辺はもっとのんびりした住宅地だったのかもしれませんが、現在は商業地帯となっています。

 

 大体この公園を管理している千代田区自体が、官公庁やビジネス街が集中し、現在では23区内でも住民人口が一番少ない区となってしまいました。


東郷元帥記念公園9  最後は元来た道を、日が陰る靖国神社へ戻りました。


空 


 心霊現象にも霊の出現(視覚化)、声や音が聞こえる霊聴現象などが知られていますが、中には霊の出現する際に、何らかの香りが漂ってくるという現象もあります。

 

 霊的な香りは霊が作り出しているため、心霊能力を持たない人間には感知されません。

  香りは肉体の嗅覚でなく、幽体(魂が所属している身体)の方の嗅覚で感知されるため、心霊能力があり、その中でも香りをかぎ取る能力者にしか認識されないのです。

 

 霊的な香りの種類も出現する霊により違っていたりと、まちまちな事が多いようです。以下に、香りを伴った霊現象と思われる2例を挙げてみました。


くちなし 

 

 

■「くちなしの香り」

 

 

本当にあった怖い名無し sage 2006/04/19() 01:07:47 ID:Wj4BZaFLO



  携帯から失礼します。従妹が
24歳の若さで脳腫瘍を患って手術の甲斐もなく他界したのですが、訃報を聞いたのは葬儀が終わってからでした。

 

遠方に嫁いだ私を気遣って連絡しなかったそうですが、その翌日に不思議な体験をしました。

 

寝室に入ると、ある地点にだけ梔(くちなし)の香りがするのです。勿論、そんな香水も持ってなかったし周りにも咲いていません。

 

部屋の真ん中、地上150㎝辺りに香りのボールが浮かんだような感じで…

 

暫らくすると香りは消えてしまいましたが、私は従妹が来てくれたのだと思っています。


花と雑貨 

 

 

■「香り」

 

 

612 本当にあった怖い名無し sage 2009/07/21() 20:47:40 ID:H6cfH8epO

 

もう一つ話していい? 前に母方の祖母が亡くなった。病気や怪我の多い壮絶な人生だった。唯一の救いは信心だった。

 

祖母の死後、数カ月して祖母の部屋の片付けに行った。荷物はほとんど処分された部屋の中、オジオバと話をしていたら、突然ふんわりお香の香りが漂ってきた。

 

それも極上の白檀の香り。本当にうっとりする素晴らしい香りだった。

 

「高いお線香使ってるね?」とオジオバに言うと、「家には仏壇も線香もないし、香りもしないよ!?」と言う。部屋も締め切っている。

 

まとわり付くように、こんなに匂ってるのに…でも数分後にはキレイに消えた。ふと、「格の高い霊はいい香りがする」と聞いたのを思い出した。

 

きっと祖母だ。今穏やかな顔をして目の前にいるに違いない。苦しんだ分、信仰の厚かった分、仏様に導かれて救われているに違いない。

 

ばあちゃん…(:_;)

 
東郷神社1 

   527日は海軍記念日です。海軍記念日と言っても世界各国にあって、日本では日本海海戦の日に制定されました。

 

 何か海軍記念日にちなんだ記事を、と思い東郷神社を訪れてみました。東郷神社は言うまでもなく、東郷平八郎を祀っている神社です。


東郷神社2 

東郷平八郎(右)、18481934年、妻テツ(左)


東郷神社3  東郷神社の鳥居。

 

 原宿の俗っぽい雑踏を抜けるとこの鳥居が見えてきます。ここだけ静寂な異空間を作り上げており、外国人が見るとこの混在具合に日本らしさを見出すらしいですね。

東郷神社4 

東京都渋谷区の東郷神社拝殿。東郷神社は他にも福岡県と埼玉県にもあるようです。現在の社殿は昭和39年に建築。それ以前のものは、戦時中に空襲で焼失しました。


東郷神社5  拝殿の一角にZ旗が掲げられています。

 

 ご存知の方も多いと思いますが、日本海海戦において、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」(敗戦すると、もう後がない)の意味でZ旗が戦艦三笠に掲げられました。

 

 Z旗単体は本来、国際船舶信号で「私は引き船が欲しい」の意味となります。


東郷神社6 

拝殿の他に、境内霊社「海の宮」というのがあって、亡くなられた海軍・海事・水産関係者の方々がお祀りされています


東郷神社7 

 528日に日露戦争にまつわる例大祭という行事が東郷神社でありますが、問い合わせてみたら関係者しか参加できないようですね、残念。 


東郷神社8 

境内には東郷元帥の一生の出来事を描いた絵が掲示されています。上は東郷元帥が88歳で逝去する場面。東郷神社には乃木神社のような、御祭神の遺品を見せるような展示室はないようです。


東郷神社9  境内にあったこれは何でしょうか。戦艦三笠の砲弾?

 

 他にも幾つか石碑や記念碑などが境内に建立されています。


東郷神社10 

実物より小さめの魚雷模型。その背後には潜水艦乗組員の殉国者碑が立っています。


東郷神社11  「海軍特年兵之碑」

 

 志願者14歳からの海軍特別少年兵の殉国碑。少し奥まった目立たない場所にあります。中央には香淳皇后御歌。

 

やすらかに ねむれとぞ思ふ 君のため

 

いのちささげ志 ますらをのとも



東郷神社12 

東郷神社の池の反対側には水交会(戦前は水交社)の施設があります。海上自衛隊(旧海軍)の親睦団体です。

 

 橋の欄干に立つとエサがもらえると大口を開けた鯉が、プカプカ浮いているカメまで押しのけて寄ってきます。(^_^;)


根本博 
根本博中将


 駐蒙軍司令官であった根本博中将は、昭和20年の終戦直前に日ソ中立条約を破って進撃してくるソ連軍から、4万人の在留邦人を救ったことで名が知られています。

 

 関東軍が早々と武装を解き、ソ連軍により在留邦人が阿鼻叫喚地獄に陥ったのとは裏腹に、根本はソ連兵の性質を熟知していたため、最後までソ連軍に抵抗し、満州在住の邦人を脱出させました。

 

 根本中将が何故このような卓越した先見性を持つに至ったかは定かではないのですが、ここでは彼が抱いていたソ連兵に対する見識を見ていきたいと思います。

 

 まず満州の在留邦人の間では、「悪評高きソ連軍でも、無抵抗の日本人を傷つけるようなことはあるまい」という見方がありました。それが次第に「ソ連兵は丸腰の日本人を絶対に殺傷しない」という噂として広まっていきました。

 

 関東軍総司令部でさえも、

 

「一般邦人にとって無武装、無抵抗が最高の手段である。そして安全な逃げ場があれば逃げるもよかろう。しかし、逃げ場のないときは、むしろ現住地に無武装でしがみついているのがもっとも安全である」

 

と楽観的に考えていました。将官級の中でも、ソ連軍をヨーロッパの軍隊同様に甘く見ていた者も多数存在していたのです。


戦争 

 

しかし根本はソ連軍とは日本人と違い、話の通じない相手であると、鋭い状況判断を示していました。彼のソ連軍への認識は以下の通りでした。

 

 

1.        ソ連は話のできる相手ではない。だから、相手が要求するように、第一線の抵抗をやめておれば、将兵は捕虜となってシベリヤに拉致され、集結していた4万人の同胞は、思うままの仕打ちをうける結果となるかもしれない。

 

2.        ソ連は国策遂行のためなら、いかなる非道なことでもする。

 

3.        強いものに対しては攻撃はしないが、弱い者にはトコトン残虐な行為をあえてする。

 

 

 従ってソ連軍からは、「815日以後はなお抗戦を命ずる指揮官をソ連としては銃殺刑に処す」という通達がなされていたのですが、根本はこれを無視し徹底抗戦の構えを見せていました。 

 

 また大本営、支那派遣軍、北支方面軍司令官より、終戦直後に度重なる武装解除命令を受けていました。が、これにも従わず、「この決断が国家方針に反するなら、免職を待つ」と返電しました。

 

 これを聞いた部下たちは、「軍司令官は、逆賊の汚名を着ても、4万人の同胞を救うため、ソ連軍を断固阻止する決意を固めておられる」と根本司令官に続けと、かえって一致団結することになった次第です。


ソ連軍のポーランド占領


 

 最後に日本人が陥りやすい、外国人に対する見識を提示しておきます。これは現在でも、特に左派を標榜する一部に見られますね。

 

 「日本人は幼児から、『ウソつきは泥棒のはじまり』『ウソをつけば雷様にヘソをとられる』と父母に訓(さと)され、学校では修身の時間に校長先生から、『正直の頭に神宿る』『正直は一生の宝』など諺を教わった。

 

 正直な人にはおのずから神や仏の加護がある。また、正直は人の一生をまもるべき大切な徳で、いろいろな幸福はそれによって訪れる、と口がすっぱくなるほど教えられたもので、だから成人となっても極力、ウソをつくまいと心がけたものだ。

 

 日本人はそんな己の心情を物差しにして他人を測るクセがあり、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄したが、猶予期間の一年間は手出しをしないだろうと考えている者もあったようだ。

 

 そうでなくても、条約破棄後4か月や5か月で参戦しないだろうという弱者のカラ頼みをしていたらしい。

 

 (ソ連軍に対する)根本将軍の発想は、4万の居留民、25百の将兵の生命を預かるものとして当然といわなければならぬ」

 

 

『戦略将軍 根本博』-ある軍司令官の深謀、小松茂朗、光人社、1987


花 


シルバーバーチなど高級霊の語った霊界通信をもとに、死んだらどうなるのかを解説しています。

 

現在は、人間が死んで霊界入りしてから行く最終目的地、「霊界」での生活について掲載しています。今回は霊界での仕事です。


霊界一覧図 

 海岸 

 

赤字はシルバーバーチの言葉)

 

こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食糧を買うためにするのではありません。

 

地上で発揮されることのなかった能力や才能や技能をもつ人が次々と霊界へやってまいります。

 

そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与することができます。

 

 

 

【解説】霊界にも仕事があります。しかし仕事といっても地上世界のように、生きるための労苦を帯びた形態ではなく、霊界での仕事は自分を生かす楽しみとなってきます。

 

 また地上世界で例え好きな仕事に就けなかったとしても、霊界ではその才能や能力を生かして、興味ある仕事に従事することができるようになります。


蝶 

 

 

 

 みんな自分がしたいと思うことにたずさわっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。

 

音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞することができます。コンサートも開かれております。

 

文学が趣味の人は地上と霊界の名作を鑑賞することができます。絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作のすべてを鑑賞することができます。

 

 子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をする事ができます。

 

魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事にたずさわります。

 

それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上に更に私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。

 

 とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ちうけております。

 

 

 

【解説】地上では時間や経済的余裕がなかった人も、霊界では興味のある物事を無償で楽しみ、幾らでも勉強や研究に没頭できるようになります。

 

 さらに霊界では自分の関心ある分野での仕事に携わることができるようになります。

 地上世界に降りて仕事もできますが、これは例えば誰かの背後霊になるとか、自分が持っているアイディアをインスピレーションで地上の人間に送るなどの形となります。

 

 自分は何が得意なのか、何に関心があるのか分からないと言う人は、生前本人に付いていた守護霊などが適宜アドバイスを与えます。

 

 霊界では仕事をするだけでなく、色々な楽しみ、研究やトレーニングなど、無限の活動が行われているということです。  

 

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『シルバーバーチの霊訓』(10)、五章 死んだあと、どうなるのか