
根本博中将
駐蒙軍司令官であった根本博中将は、昭和20年の終戦直前に日ソ中立条約を破って進撃してくるソ連軍から、4万人の在留邦人を救ったことで名が知られています。
関東軍が早々と武装を解き、ソ連軍により在留邦人が阿鼻叫喚地獄に陥ったのとは裏腹に、根本はソ連兵の性質を熟知していたため、最後までソ連軍に抵抗し、満州在住の邦人を脱出させました。
根本中将が何故このような卓越した先見性を持つに至ったかは定かではないのですが、ここでは彼が抱いていたソ連兵に対する見識を見ていきたいと思います。
まず満州の在留邦人の間では、「悪評高きソ連軍でも、無抵抗の日本人を傷つけるようなことはあるまい」という見方がありました。それが次第に「ソ連兵は丸腰の日本人を絶対に殺傷しない」という噂として広まっていきました。
関東軍総司令部でさえも、
「一般邦人にとって無武装、無抵抗が最高の手段である。そして安全な逃げ場があれば逃げるもよかろう。しかし、逃げ場のないときは、むしろ現住地に無武装でしがみついているのがもっとも安全である」
と楽観的に考えていました。将官級の中でも、ソ連軍をヨーロッパの軍隊同様に甘く見ていた者も多数存在していたのです。
しかし根本はソ連軍とは日本人と違い、話の通じない相手であると、鋭い状況判断を示していました。彼のソ連軍への認識は以下の通りでした。
1.
ソ連は話のできる相手ではない。だから、相手が要求するように、第一線の抵抗をやめておれば、将兵は捕虜となってシベリヤに拉致され、集結していた4万人の同胞は、思うままの仕打ちをうける結果となるかもしれない。
2.
ソ連は国策遂行のためなら、いかなる非道なことでもする。
3.
強いものに対しては攻撃はしないが、弱い者にはトコトン残虐な行為をあえてする。
従ってソ連軍からは、「8月15日以後はなお抗戦を命ずる指揮官をソ連としては銃殺刑に処す」という通達がなされていたのですが、根本はこれを無視し徹底抗戦の構えを見せていました。
また大本営、支那派遣軍、北支方面軍司令官より、終戦直後に度重なる武装解除命令を受けていました。が、これにも従わず、「この決断が国家方針に反するなら、免職を待つ」と返電しました。
これを聞いた部下たちは、「軍司令官は、逆賊の汚名を着ても、4万人の同胞を救うため、ソ連軍を断固阻止する決意を固めておられる」と根本司令官に続けと、かえって一致団結することになった次第です。
最後に日本人が陥りやすい、外国人に対する見識を提示しておきます。これは現在でも、特に左派を標榜する一部に見られますね。
「日本人は幼児から、『ウソつきは泥棒のはじまり』『ウソをつけば雷様にヘソをとられる』と父母に訓(さと)され、学校では修身の時間に校長先生から、『正直の頭に神宿る』『正直は一生の宝』など諺を教わった。
正直な人にはおのずから神や仏の加護がある。また、正直は人の一生をまもるべき大切な徳で、いろいろな幸福はそれによって訪れる、と口がすっぱくなるほど教えられたもので、だから成人となっても極力、ウソをつくまいと心がけたものだ。
日本人はそんな己の心情を物差しにして他人を測るクセがあり、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄したが、猶予期間の一年間は手出しをしないだろうと考えている者もあったようだ。
そうでなくても、条約破棄後4か月や5か月で参戦しないだろうという弱者のカラ頼みをしていたらしい。
(ソ連軍に対する)根本将軍の発想は、4万の居留民、2千5百の将兵の生命を預かるものとして当然といわなければならぬ」
『戦略将軍 根本博』-ある軍司令官の深謀、小松茂朗、光人社、1987年