東京には色々な戦争の慰霊施設がありますが、東京都戦没者霊苑は日中・太平洋戦争での東京都の戦没者、16万人余りが祀られています。雨の日に訪問してきました。
これが全景です。千鳥ヶ淵ほど大きい施設ではありません。中央奥に「東京都戦没者鎮魂の碑」、左手に休憩所があります。
右手に「東京都戦没者鎮魂の碑」があります。この場所は何故か入口にロープが張られ、立ち入り禁止になっているので碑の詳細が確認できませんでした。
実はここ、前も真夏の時期に来たことがあるんですが、冷房がありません。あるのかもしれませんが、スイッチ入っていませんでした。
節約のためだと思いますが、保存という観点から、遺品が傷まないのかなあと心配してしまいます。
軍服も保存状態が良い物が多いです。それだけ遺族の方が大切に保管していたことが伺えます。
展示品は遺族が寄贈した戦没者の遺品、シベリア抑留関係、戦後フィリピンで回収した戦死者の遺留品などがありました。
軍隊手帳。
当時の住所が東京府東京市神田区淡路町となっています。今の秋葉原に淡路町はありますが、「神田区」という区は現在ありません。「東京府」と「東京都」の違いって何なんだろう?
「17年11月千葉に入隊3日後満州に渡る。この写真は18年2月奉天で写したもの。現在でも、この写真を見るたび親孝行の息子が思い出されて、・・・」
「親孝行の息子が思い出されて・・・」。病気している現在の自分には、ここの所がイタイですね~。(>_<) 思わず写真に見入ってしまいました。
東京都で募集して、シベリアへ墓参したのでしょう。20年以上前なので、写真も色あせてきています。
「18年11月入隊、16日満州に向う。19年8月近日中に南方に出発するとの便りがあったのが最後でした。19年12月22日の朝夢で会いに来ましたので命日にしています」
夢で別れに来たとか、実際に幽霊となって内地の家族に会いに来たなど、戦時中は心霊的な逸話が数多く残されています。
「陸軍軍医中尉。46歳で出征。フィリピン、ルソン島南部で戦死(昭和20年7月)。在郷軍人の軍事教育の際いつも持っていた双眼鏡。出征の際かたみとして家に残して参りました」
46歳で出征するのは、軍医とはいえ大変だったでしょう。戦時中は軍医が足りず、医者が大量に粗製濫造されたとも聞いています。それが戦後の医療にも影響したとも・・・。
こちらの施設には夕方頃訪れましたが、展示品を見学中も誰も来ない静かな場所でした。繁華街の真ん中なんですけどね。
シビックセンター
近隣には文京区の区役所「シビックセンター」があり、25階の展望台は無料となっています。