九段を歩く 【東京都千代田区・後編】 | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


九段散策、後編です。前編では靖国神社まで行きました。


九段坂 

九段周辺は靖国神社から千鳥ヶ淵にかけて、緩い坂(九段坂)が続きます。

 でも昔の九段坂は、現在より遥かに勾配がきつかったそうです。中央遠方に靖国の塀が見えます。


北の丸公園 

 靖国の向かい側に北の丸公園(皇居外苑)があります。かつて江戸城の北の丸があった場所で、今は公園になっています。これが最初の入口。


田安門 

 門をくぐるとまた門があって、ここは旧江戸城田安門、重要文化財に指定されています。

 

 門の建設年代ははっきりしませんが、1636(寛永13)年と推定されています。東京大空襲でも爆撃を免れました。

 一部修理されたりしているものの、昭和
18年製作の国策映画、「決戦の大空へ」でもこの田安門がしっかり映っていますね。


 

 田安門のそばに、「皇紀二千六百年 植樹記念碑」という石碑があります。

 

昭和151935)年に、神武天皇即位から2600年を記念して、行事が大々的に行われましたが、その当時のものでしょう。


日本武道館 

 田安門をくぐると日本武道館の建物が。この日は剣道の試合と書いてありました。


 

 北の丸公園を出て、再び大通りである「靖国通り」の坂を上ります。

 途中の九段坂公園という猫の額ほどの土地に、元帥陸軍大将 大山巌公」の銅像が立っています。


拡大 大山公の銅像は、結構な高さなので顔がよく写りません。 



大山巌 

大山巌(いわお):1842(天保13)年-1916(大正5)年、享年74

 

 薩摩藩士。陸軍大臣を歴任。ジュネーヴへ留学、「西洋かぶれ」とも。日清・日露戦争では勝利に大きく貢献。後妻は米国留学した山川捨松。

 「八重の桜」にも登場したようですね。私はテレビないので見なかったですが・・・。(^o^;)



千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ  千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ向かいます。


千鳥ヶ淵緑道 

 千鳥ヶ淵緑道。右の柵越しに下を覗くと千鳥ヶ淵。ここはまさに都心の中心部にもかかわらず、週末は人もまばらで静かな空間を保っています。


千鳥ヶ淵 

千鳥ヶ淵。ボートに乗っている人もほとんどおらず、閑散としていました。桜の時期とは大違いですね。


千鳥ヶ淵戦没者墓苑 

  千鳥ヶ淵戦没者墓苑に到着。身元不明の戦死者の遺骨が安置されています。詳細はまた後で書こうと思います。


靖国神社 

 最後に靖国神社へ戻ってきました。陽が陰って日没も近づいてきます。私もここで帰路につきました。