千鳥ケ淵戦没者墓苑へ行ってきました。
千鳥ケ淵戦没者墓苑は昭和34年に身元不明の戦没者の墓として創建されました。
納骨堂入口の右手には、戦没者墓苑ができた由来や戦没者数一覧などが記された碑があります。
御遺骨は昭和28年以降に海外から持ち帰られたもので、軍人軍属、一般邦人も含まれています。
遺骨についてですが、霊界通信では他界者は死後、自分の遺体や遺骨を含む物質には関心が無くなるという事が述べられています。
従って私自身も、死者を慰霊するために遺骨を集めなくとも問題ないし、意念は祈った場所に関係なく死者に届くので、お祈りするのはどこでもOKという考えです。
でもこれは私自身の価値観ですから、遺骨が重要と思われる方は遺骨収集に賛同されれば良いと思います。
私自身も押し付けは好まざるところです。それで普段は人の気持ちに配慮し、参詣所では他人に合わせて黙って拝んでいます。だから周りは誰も私の本心は知りません。
ただ最近、フィリピンかどこかで、収拾した遺骨の中に、現地人の骨が多数混ざっていて問題になった、という話を聞いたような気がしたのですが、これは疑問に思ってしまいます。
日本が起こした戦争で犠牲になった方々なのですから、骨になってまで邦人である、邦人でないで厳密に区別するのは何だか度量が狭い気もします。
いくさなき よをあゆみきて おもひいづ
かのかたきひを いきしひとびと
ここは週末、人影もまばらで、静かに散策したいという方にはお勧めです。
左の「平和記念碑」は引き揚げに伴う死没者のためのもの。日本への引き上げの道は過酷なもので、途中20万人が亡くなられました。
右の「追悼慰霊碑」は強制抑留で亡くなられた方々のもの。旧ソ連に57面5千人の軍人軍属・民間邦人が抑留され、シベリアや中央アジアでの強制労働で5万5千人が犠牲となりました。
これは牡丹でしょうか。草木も美しく手入れされ、墓苑ですが清々しい気分になります。
行く春や 鳥蹄(な)き魚(うお)の 目は泪(なみだ)
松尾 芭蕉
晩春というより、もう初夏ですね・・・。
千鳥ヶ淵のボート乗り場。墓苑を出ると、向かい側には千鳥ヶ淵が広がっています。
千鳥ヶ淵とはつまり、皇居の北西側にあるお堀のことです。ちなみに「千鳥ヶ淵」の名称は、お堀が千鳥の羽を広げたように見えたことに由来しています。