
習志野駐屯地の訪問記、史料館でもある空挺館を中心に取り上げています。
騎兵隊で使用した軍馬の防毒覆い。こんなのあるんですね!(・・;)
軍馬に防毒覆いを被せ、騎乗した人間と共に上から薬剤を撒いて、効果を確認するテスト中の場面。
米軍用ビール缶。
御馬見所(ごばけんじょ)は終戦後の昭和20年、米軍に接収され司令官の宿舎となりました。上のビール缶は御馬見所の天井裏からのちに発見されたもの。米軍は屋根裏で一体何をやっていたのでしょうか。( ̄_ ̄ i)
他は現在の陸自の空挺団の前身となった、帝国陸軍挺進団(落下傘部隊)の展示物がありました。
ウィキペディアで調べたら「(陸上自衛隊の)第1空挺団は、初代空挺教育隊長を務める衣笠駿雄元陸軍少佐(第1空挺団初代団長)に率いられ、帝国陸軍挺進団の元隊員らから構成される第1次研究員20名によって創設された」とのこと。
あれっ!?、陸上自衛隊って、旧陸軍軍人は入隊禁止じゃなかったのでは?それとも空挺団には経験者が必要だったので、やむなく入隊を許可したのでしょうか。
「出撃直前の高千穂部隊」。昭和19年12月、フィリピンの南サンフェルナンドで。
昭和19年は食糧難の時期でしたが、マッチョな人がいます。戦時中の映画を見ると、華奢な俳優が兵隊役を演じていたりしますが、実際の将兵はこんな印象だったのでしょうね。
御馬見所(ごばけんじょ)も陸上自衛隊の空挺団駐屯地となってから、「空挺館」と改名されました。
97式操縦者用落下傘。
「昭和15年2月20日、陸軍落下傘部隊として初めての落下傘降下に使われたのがこの97式落下傘でした。・・・飛行機事故のときの救急用なため、足の骨一本くらい折れても命が助かればよいという代物でした」
なんとも恐ろしい落下傘ですね~!(@Д@;
習志野には騎兵学校もありました。石碑は第二代騎兵学校長であった秋山好古(よしふる)大将の揮毫(きごう)です。
一番最後の事故は平成19年、演習中に予備傘(パラシュート)が開かずそのまま着地し殉職。24歳の方でした・・・。
もしかして、ここからバンジージャンプまがいな訓練をする?午前中のイベントで何か催されたのかもしれないけど、既に宴の後・・・。
時間がなくて空挺館も駆け足だったので、また機会があったら再度ゆっくり見に行きたいですね。