
元外交官の佐藤優氏によると、戦前の3大情報大国は1位がイギリス、2位がソ連、3位は意外ですが日本でした。
「戦前・戦中の特務機関や憲兵司令部、特別高等警察(特高)、陸軍中野学校、さらに風船爆弾や殺人光線、生物化学兵器、スパイ用カメラ、暗殺用万年筆、偽札印刷機などを開発していた陸軍登戸研究所も当時の世界最高水準を誇っていた」
現在の情報力は1位がイギリス、2位がイスラエル、3位がロシアとなっています。アメリカが番外になってしまうのは、情報がなくとも極端に国力が強いため、戦いに勝つことができるためです。
戦前・戦後を通じ、イギリスは常にインテリジェンス最強国の地位を堅持しています。これは何故かというと、イギリスは植民地経営なども含め、古くから文化が異なる遠方の人々との異文化交流がさかんであったためです。この蓄積が優れたインテリジェンスを生み出す土壌となっています。
また冷静さ、秩序感覚を持ち、テロリストの思惑に容易に乗せられないイギリス人の国民性も、インテリジェンスの優秀さに繋がっているようです。
それを裏付ける出来事として第二次大戦中、ドイツの空爆に対してイギリス国民が一丸となって耐え抜いた「バトル・オブ・ブリテン(英国の戦い)」があります。
作家ジョージ・オーウェルが、当時のイギリス市民の危急の際の秩序感覚について述懐しています。
第二次世界大戦で、ドイツの空襲を受けたロンドン
「ロンドン空襲がもっともひどかった頃、当局は民衆が地下鉄の駅を防空壕として利用することを禁じようとした。それに対して民衆は門を押破ることによって答えようとはしなかった。
彼らはだまって1ペニー半の切符を買った。こうして彼らは乗客としての合法的な地位をもったのであって、当局の方でも二度と彼らを追出そうとは考えなかった」
イギリスのインテリジェンスの特徴は二つあります。一つは、他者の持つ内面的な世界観を理解する能力に長けていることです。
以下は日米戦争中、「東京ローズ」など対連合国謀略放送に携わった池田徳眞(のりざね)の見解です。
「イギリス人の宣伝は臨機応変で、時期・相手によってどうでも変わるのである。たとえば、議論好きのドイツ人には議論を吹きかけている。それゆえ、イギリス人の宣伝を見ていると、イギリス人のように他民族の心理をよく理解している民族はいないとしみじみと思うのである。
きっと彼らは、十数世紀にわたって世界各種の民族との闘争を経験したので、このような特殊の才能をもつようになったのではあるまいか」
イギリスのインテリジェンスの特徴、第二はやりすぎないことです。敵の退路を断たず、逃げ道を残しておく、インテリジェンスでは完全な勝利を求めないというやり方です。
そうすることで相手の敵愾心を抑えて恩を売り、いざという時にはかつての敵を味方にして、イギリスの国益を追求します。
例えば19世紀、イギリスはインドを植民地としましたが、アロー号戦争ではインド人の傭兵で中国と戦いました。
またイラクを統治していた時代でも、イギリス型の民主主義や治安基準を現地に導入しようとは考えませんでした。『民族とナショナリズム』の著者、ゲルナーによると、
「第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんと官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目に見ていた」
と、イラク国内では殺人も合法となっていました。イギリス人は異民族と対峙する際には、自由や民主主義を押し付けがちなアメリカ人とは正反対の態度を取っています。
このようにイギリス人は、対外的には使うエネルギーを最小にし、その範囲内で最大の効果を追求しようとするのです。
『国家の謀略』、佐藤優、小学館、2007年