
現在の日本からは窺い知れませんが、戦前の日本は実はインテリジェンス大国でした。暗号に関しても外務省、日本海軍のコードはアメリカに盗聴されていましたが、日本陸軍で米軍に解読された暗号は1万通につき、わずか8本程度とされています。
日本陸軍の情報能力はアメリカと総合力で互角、しかも状況予測に関しては米軍の分析力を凌駕していました。
当時のインテリジェンス機能の中枢であった参謀本部第二部(情報担当)では、開戦直後から徹底的な戦況予測が行われ、分析の結果ドイツ、イタリアはいずれ敗北するという結論に早々と達していました。
アメリカが当時、プロパガンダ、諜報などのインテリジェンスにそれ程重きを置かなかった理由は、アメリカの軍事力が他国に比較し圧倒的に強かったためです。
インテリジェンスの最終目標は国家を保全し、維持し続けることにあります。戦争の場合は敗北しないことを至上命題に掲げ、各国は有用な情報を徹底的に収集し分析します。
しかし他国以上に圧倒的軍事力を保持している国家は、インテリジェンスに頼らずとも戦争に勝利することが可能です。結局インテリジェンスも勝利のための一手段であるため、最強国アメリカにとっては死活問題となる分野ではなかったわけです。
インテリジェンスで日本陸軍と言えば、まず陸軍中野学校が想起されます。陸軍中野学校の工作の特徴は、買収やハニートラップなどの「汚い工作」よりも、協力者の魂まで獲得してこちら側に協力させる方針をテーゼとしていました。
陸軍中野学校では「謀略とは誠(まこと)」であると教育していました。これは日露戦争中、ロシアの革命派に資金・武器援助の工作を謀った明石元二郎大佐の基本哲学でもありました。
彼は謀略のためではなく、真にロシアの専横を憎み、ロシア国民を専制政治から解放してやりたいと考えていました。
つまり明石大佐の行動はロシア人を利用する欺瞞のためではなく、「誠(まこと)」から発していたというのです。この彼の誠心あればこそ、革命党員の心を動かし、革命工作も成し遂げられました。
中野学校も明石大佐に倣い、相手の民族の利益にもなり、かつ日本の国策にも合致する工作活動を行った結果、戦後のインドネシアやビルマの独立に繋がったと言われます。
一方で中野学校は、目的のためには権謀術数や非合法も含まれる、手段を厭わない教育方針を貫いていました。
代表的であるのが陸軍中野学校関係者で、売国奴、「日本のユダ」と罵られた田中隆吉中将です。
陸軍少将、田中隆吉(1893-1972)。陸軍中野学校長も務めた。
田中隆吉は東京裁判で検察側証人として出廷し、東條英機をはじめとするA級戦犯7名を絞首刑に追い込んだ役割の一端を担った人物です。彼は中国やモンゴルで謀略にも深く関与してきた経緯がありました。
彼は昨今「アメリカの売国奴」というイメージで語られますが、実は国体の護持が目的でアメリカと手を組んだという見方があります。
かつての上司や同僚を絞首台に追いやることを十分認識したうえで、彼はアメリカとの取引に応じ、天皇に戦争責任が及ばぬように法廷工作に腐心していたという推察です。
この行為は天皇制という国体を守るため、手段を選ばず目的を達成するという、まさに中野学校の方針に合致するものでありました。
『国家の謀略』、佐藤優、小学館、2007年