衣嚢(いのう)と制裁 「蜂の巣」 | 太平洋戦争史と心霊世界

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■衣嚢(いのう)


衣嚢1 

衣嚢(いのう)を背負う海軍兵



 衣嚢(いのう)とは、海軍下士官兵が衣類を整理して入れておくキャンパス製の布袋です。

 

底のサイズは約40センチ、長さは1メートル2030センチにも及び、重さは30キロ以上ありました。

 

この中に軍服、事業服(作業服)、軍靴(ぐんか)に至るまで納め、転勤などの移動の際に肩にかついで持ち運びしました。

 

衣嚢には黒色の外嚢と白い内嚢(うちのう)があり、普段は内嚢を外嚢の中に格納しておきます。



衣嚢2 

上の画像は映画で海軍兵が空母に転勤してきた場面で、黒い外嚢を背負っている状態です。(略帽が下士官の物ですが、これは考証の誤り)



衣嚢3  映画「男たちの大和」の艦上で、右側に大和に転勤してきたばかりの海軍兵が並んでいます。

 

 足元に衣嚢が置いてありますが、白の内嚢ですね。本来なら黒い外嚢なのでは?これも時代考証の間違いではないでしょうか。


 

   護衛艦       護衛艦       護衛艦       護衛艦

 

■制裁「蜂の巣」

 

 衣嚢は兵舎や居住区の隅に備え付けられている、衣嚢箱と呼ばれる四角いロッカーに格納します。

 

このロッカーは衣嚢を収納するだけではなく、時には制裁にも使用されたりもしました。しごきは「蜂の巣」と呼ばれていました。



「蜂の巣」1  「蜂の巣」は主に真夏の暑い時の罰直でした。

 

命令されると兵は一斉に衣嚢箱から衣嚢を出して、40センチ四方の奥行きの深いロッカーに頭を突っ込みます。そのまま10分ほど静止しておらねばならず、中に入った者は大変息苦しい思いをしました。

 

ここの画像では黒い外嚢に覆われた衣嚢が衣嚢箱に収まっており、衣嚢の底には名札が付いています。



「蜂の巣」2  ロッカーを得られずあぶれた兵はバッターと言って、いわゆるケツバットで尻を叩かれました。

 

 最初に衣嚢箱は中段から埋まっていくので、上段を狙う者は中段に入った兵の身体をよじ登って必死にロッカーを確保しました。

 

 「蜂の巣」という名称も、兵たちがロッカーに収まっている様子がちょうど蜂の巣のように見えるからなのでしょうね。

 

 以下のリンクの下の方に、実物の衣嚢(外嚢)の画像があります。

 

 

■海軍兵・下士官用の衣嚢(外嚢のみ)

http://cb1100f.b10.coreserver.jp/collection2_p.html

 


 

『昭和の海軍』  -目で見る日本風俗誌⑤、今戸 栄一、日本放送出版協会、1984

『海軍かまたき兵物語』、岡田利秋、光人社、