茨城県笠間市にある筑波海軍航空隊記念館を訪問しましたが、ここは映画「永遠の0(ゼロ)」のロケ地であると同時に、筑波海軍航空隊の跡地でもあります。今回は航空隊時代の史跡をご紹介します。

戦時中とほぼ同じ状態で残されています。筑波海軍航空隊はわずか11年の歴史でしたが、1934(昭和9)年に霞ヶ浦海軍航空隊から「友部(ともべ)分遣隊」として設置されました。
1937(昭和12)年に日中戦争がはじまると、友部分遣隊は霞ヶ浦航空隊から独立して、筑波海軍航空隊と改称されました。
同時に筑波海軍航空隊から百里航空隊が分遣隊として設置されました。百里航空隊は現在航空自衛隊の百里基地になっています。
こちらは現在裏門となっていますが、昭和9年の友部分遣隊が設立された当時は正門となっていました。
グラウンドにある当時の号令台。ここで集会や訓練が行われました。
号令台の裏に回ると、中に入れるようになっていますが何のため?まさか、防空壕じゃないですよね。
昭和13年に司令であった古瀬貴季中佐の命により、訓練中に事故死した隊員たちのためのものです。風雨に晒され字がかすれてきています。
そういえば山本五十六も大正13~14年、霞ヶ浦航空隊に勤務していましたが、訓練中に亡くなった隊員の名前を手帳に記して冥福を祈っていましたね。
司令部敷地内にあるこの神社に、多くの飛行隊員が参詣していました。社殿がないのは終戦直後、米軍の報復を恐れた地域住民が建物を取り壊したためだそうです。