日本ではあまり知られていませんが、ニューギニアやラバウルのあるニューブリテン島など、南太平洋諸島は第二次世界大戦下ではオーストラリア領となっていました。
ニューギニア、ラバウルのあったニューブリテン島もオーストラリア領だった。
太平洋戦争下の1942(昭和17)年1月、日本軍はニューブリテン島のラバウルに上陸、ニューアイルランド、ブーゲンビル島、ニューギニア北岸なども占領しました。
同年8月に日本軍はオーエン・スタンレー山脈を越えて、ポートモレスビーを攻略しようとしましたが、戦病死・餓死者を多数出したため撤退し、制海権・制空権を失いました。
1942(昭和17)年のニューギニアなど南太平洋における戦いは一見、日本軍対米軍の熾烈な争いに見えますが、実質的にはオーストラリアが日本軍に占領された領土を奪還する戦いでもあったのです。
終戦後、ラバウルには日本人戦犯刑務所が設置され、豪軍の配下に置かれましたが、これもニューブリテン島がもともとオーストラリア領であったためです。
南太平洋諸島は第一次世界大戦までドイツの統治下に置かれていました。第一次大戦では日英同盟を結んでいた日本は英・豪をはじめとする連合国側につき、戦勝国となりました。
参戦の犠牲を払った日豪は、その代償としてドイツ領の南洋諸島を獲得しました。南洋諸島は赤道を挟んで南北に点在していたため、赤道以北を日本、ナウル島を除く赤道以南をオーストラリアの委任統治領とすることで決着しました。
第一次大戦後~第二次大戦までの各国の太平洋諸島における委任統治領。
その際に日本の委任統治領となったのがパラオ・トラック島などのカロリン諸島、サイパンなどのマリアナ諸島、マーシャル諸島でした。
オーストラリアは赤道以北の諸島の獲得も主張していたのですが、これは実現しませんでした。この背景として、日本の太平洋への南下をできるだけ阻止したいとの思惑が働いていたようです。
当時のオーストラリアにとって、日本は濠州への侵略をねらう脅威的存在とみなされていました。
対してオーストラリアもまた、南太平洋において「帝国主義者」としての顔を持っていました。
1914(大正3)年9月、ラバウルでのオーストラリア艦隊。
1901年、オーストラリアはイギリスから事実上の独立を果たしました。しかしそれ以前より濠州はイギリスの植民地であると同時に、フィジーなど南太平洋諸国での植民地経営を行っていました。
オーストラリアは当時の南太平洋諸島では、植民地経営国として甚大な影響力を放つ大国でもあったのです。
その一方で濠州はイギリスの植民地下に置かれたため、国際社会では限定された役割に甘んじねばならないという、長年国力のギャップに悩まされた国家でもありました。
・ラバウル / 委任統治 / 南洋諸島(ウィキペディア)
・『物語 オーストラリアの歴史』-多文化ミドルパワーの実験、竹田いさみ、中公新書、2000年