
太平洋戦争で学徒出陣し戦病死した学徒兵の日記・遺書などをご紹介します。
■柳田陽一(陸軍・京都帝国大学史学科卒業・享年23歳)
:昭和16(1941)年7月12日の日記より
応召盛んなり。
いよいよ非常時を思う。一刻一刻が奈落への顚落(てんらく)の刹那にある。何時か、今がその瞬間かもしれない。大きな、目に見えぬあらしがかける。かける。わけのわからないものが渦巻のごとく身をとりまく。それが私を未知の世界にふき上げる。
何ていう時だ。人間とは、歴史とは、一体何なのだ。誰が歴史を動かすのだ。はげしい怒涛にもまれているような。幻の馬車のわだちがきこえる。眼に見えぬわだちの音が聞える。歴史とは何だ。一体俺をどうしようというのだろう。
■浅見有一(陸軍・享年27歳):昭和17(1942)年4月28日付、手記より
友は征った。
太陽が葉桜の枝からまぶしく照り出した時、私の前をざくざくと砂利道を踏みしめて・・・
きっと、私をさえ見なかったろう。
隊列の中に
私は友の顔の青ざめて涙ぐんでいるのを見た。
■中村徳郎(陸軍・享年25歳):「つはもの日記」、昭和18(1943)年5月15日より
・・・・・
私はあまりにもくどすぎる自己礼賛をきくと反吐(へど)をはきたくなる。日本人はもっと謙虚であるべき筈だ。・・・
実力のない空威張は総て排さなければならぬ。しかもその実力は並大抵の努力で得られるものではない。不敗国であるとて、それを誇りに思って済ましていられるだろうか。・・・
問題は、いかに敗れて惨憺たる悲境に陥っても、常に旺盛なる民族精神の昂揚を見、決して浅間しい末路を辿らず、ますますどん底から盛り上る実力を示し得たか、そうでなかったか、という所に在る。・・・
そういうことを考えると又しても歴史を読みたくなる。・・・自己礼賛や自己満足の夢ほど国を殆(あやう)くするものはない。自惚れた国で興隆した国はない。・・・