豪州の日本人戦犯への虐待は白豪主義の影響か? | 太平洋戦争史と心霊世界

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 以前、終戦後ラバウルに設立された日本人戦犯刑務所は豪軍の管理下にあり、そこでは豪軍による日本軍人戦犯への過酷な取り扱いがなされていた、という記事を掲載しました。

 

 

■日本軍戦犯へ報復した豪軍【前編】←クリック)


■日本軍戦犯へ報復した豪軍【後編】(←クリック)



 ちょうどこの頃、オーストラリアにお住いのSachi Hirayamaさんのブログ記事で、オーストラリア人は今でも対日戦争に関する歴史問題になると、途端に日本非難を始め感情的になるという話を拝見しました。



■日本人と結婚している人たち(←クリック)

「日本人、特に日本人女性と結婚しているオーストラリア人の男性の方々、日本と触れる機会も多いから親日の方が多いのですが、なぜか歴史問題となるとすごい勢いで日本をこき下ろす方が多い」

 

 

 そこでオーストラリア人が以上のような対日歴史観をなぜ持つのかに興味を持ち、幾つかの資料を読んでみました。

 

 まず濠州には人種差別政策と呼ばれた白豪主義政策がかつて採られていました。最初に敗戦後の日本軍に対する仕打ちは、この人種差別的な側面があったのではないかと推察しました。

 

しかし白豪主義は間接的に日本人戦犯への仕打ちに影響を及ぼしたかもしれませんが、これが決定打であるとは思えません。

 

 白豪主義は1901年から1973年まで濠州で実施された非白人を排除する政策でした。19世紀半ばに金鉱が発見されゴールドラッシュが始まると、中国人労働者が流入し、豪州大陸全土に広がっていきました。


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 白豪主義は確かに人種差別政策であったのですが、その真の目的の一つは経済的な自己防衛対策でありました。18801890年代の濠州は、貿易で経済的に潤い世界最高の生活水準を誇っていました。

 

 そこに低賃金で働く中国人労働者が入り込み、オーストラリア人の賃金全体を引き下げることになったのです。これに脅威を覚えた濠州は、1901年、移住制限法により非白人労働者の入国制限を設け、ここに白豪主義政策が始まりました。

 

 この入国制限法のメインターゲットは中国人であり、豪州の盟邦である英国と日英同盟を結んでいた日本には、労働者の受け入れ基準をアジア系の中で最も甘くしていました。

 

また単純労働者が多かった中国人とは違い、技術労働者が多かった日本人には濠州内でも根強い需要があったことも、少数ながら受け入れ要因の一つになりました。

 

 このように白豪主義の実施は経済的要因も大きいのですが、豪州内にはやはり、異人種としての日本人への脅威も見られます。

 

 19192月、第一次大戦後のパリ講和条約で日本は、国際連盟規約に人種差別撤廃条項を盛り込むよう主張しました。

 

 これに対しアメリカ代表団は意外にも好意的な反応を示したのですが、これにオーストラリアとカナダが激しく反発し、特に豪州は白豪政策の堅持を主張したため、日本の提案は却下されるという経緯がありました。

 

 戦前のオーストラリアにはまた、アジア諸国に存在する唯一の欧米人国家という、絶海の孤島のような地理的恐怖も存在していたようです。以下が言い得て妙な例えかもしれません。

 

「黄色人種が支配する極東地域において、オーストラリアは小さな白色の点に過ぎないとの風景画を描くとき、言葉で表現しきれない恐怖感がオーストラリア人を襲う。こうした恐怖感は、第二次世界大戦が終了するまで連綿と続く」

 

 

 

・白豪主義(ウィキペディア)

・『オーストラリアと日本』-新しいアジア世界を目指して、ウォーレン・リード著、田中昌太郎訳、中公新書、1992

・『物語 オーストラリアの歴史』-多文化ミドルパワーの実験、竹田いさみ、中公新書、2000