故人の命日をどう捉えるか 【シルバーバーチ】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


ケイトウ 


こちらではシルバーバーチをはじめとする、高級霊が語った自然の摂理(この世の目に見えない法則)や、霊界(死後の世界)についてご紹介しています。

 

 この記事を読まれている方の中には、身内や知己を亡くされている方もいらっしゃるかと思います。その一年に一度巡ってくる彼らの命日をどう捉えるかが今回のテーマです。

 

 文章は黒字が質問者、赤字がシルバーバーチの発言です。


     クローバー クローバー        クローバー クローバー        クローバー クローバー

 

 

 招待客が友人からの質問として「悲しい命日は心の傷(いた)みを呼び覚ますだけだから愚かで無意味だと言う考えはいかがでしょうか」と述べ、それに自分の考えとしてこう付けくわえた。

 

 

――今さらどうしようもないことは分っているのに年に一回、心の傷みを思い出すのは間違いだと思います。

 

 

「その質問者のいう”悲しい命日”というのは何のことでしょうか」

 

 

――故人が亡くなった日です。その日に何もしたがらない人がいます。改めて悲しい思いをしたくないのだと思います。


海 

 

 

「誰にとって悲しいのでしょうか」

 

 

――その人を失った家族です。亡くなった本人ではありません。私はあなたのお考えに同感です。亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。

 

 

「一種の自己憐憫の情です。自分自身への哀れみであり、愛する者を失った事を嘆いているのです。苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。

 

もちろん地上生活が利己的すぎたために死後もあい変わらず物質界につながれている人(地縛霊)がいますが、それは少数派に属します。

 

 大部分の人にとって死は牢からの解放です。新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。無知の暗闇でなく、知識の陽光の中で生きることが出来るようになるのです。

 

過ぎ去った日々の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すとおっしゃいますが、いったい何のために思いだすのでしょう。そんなことをして、その霊にとってどんな良いことがあると言うのでしょうか。何一つありません!

 

過ぎ去ったことをくどくどと思い起こすのは良くありません。それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に胸をふくらませて迎えることです。それが叡智の道です」


きのこ 

 

 

【解説】地上と霊界ではしばしば相反する価値観を有していることがあります。地上では死は悲しむべき終焉です。しかし反対に霊界では、人間の死は地上での苦難から解放された祝福すべき門出と捉えられています。

 

 なぜなら、シルバーバーチはしばしば言及していますが、霊界が本来の実在する本物の世界であり、地上は霊の訓練所としての意味合いを持つ、単なる仮のテスト環境に過ぎないからです。

 

 地上から故人を悲しみと共に思い出すことは、本来ならばすべきではないことなのです。それは霊界では人間の思念は実感を伴って実在するからです。

 

例えば、地上の子供Aさんが、亡くなった母Bさんのことを嘆き悲しんでいるとします。母Bさんは子供Aさんの悲しみの念をそのまま受け止めるため、母Bさんの気分は悲しくなります。

 このように、霊界では思念が他人に直接伝播します。「悲しい気分」は受け取って心地よくなる思念でしょうか?普通の人はそうは思わないでしょう。ですから、あまりにも悲しみの念を故人に送り続けると、霊界で幸せに暮らしている当の本人は当惑してしまうわけです。

 

 最後にシルバーバーチが、「悲しみを持って故人を思い出しても、亡くなった当人には何の良いこともない」と述べていますが、これは以上のような意味あいを指しているのでしょう。

 

 もし何とか故人の助けになりたいと思う場合は、悲しい気持ちではなく、「霊界で幸せに暮らしてください」、「今までありがとう」など、霊界入りした人が幸せな、嬉しくなるような思念を送られると良いのではないでしょうか。

 

 

『シルバーバーチの霊訓』(8)、3章 質問に答える(1)-地上の生活

キーワード:命日の捉え方、「悲しい命日」は自己憐憫、死は苦からの解放


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