旧乃木邸、乃木夫妻の墓 【乃木坂】 | 太平洋戦争史と心霊世界

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


 913日の乃木大将の命日にちなみ、先日は乃木神社をご紹介しましたが、こちらは同時に見学して前回載せきれなかった箇所です。



乃木希典 

乃木希典(まれすけ)大将。1849(嘉永2)-1912(大正元)年、享年62歳。



■旧乃木邸

 

 

 乃木神社に隣接した場所に、乃木夫妻がかつて住んでいた乃木邸があり見学できます。


乃木邸  草木に囲まれた乃木邸。一見ログハウスのような質素な造りです。

 

●乃木邸の由来

 

「乃木邸は明治12年に買い求め、明治35年に改築されたものです。

 

(此の建物は明治19年にドイツ留学中、フランスの陸軍訪問の折にスケッチした聯隊本部を参考に建てられています。)」


建物が損壊 

以前は命日の913日前後に乃木邸の中を見学できたらしいのですが、現在は東日本大震災の際に建物が損壊し、屋内見学は中止となっています。


殉死した部屋  右手の窓がある部屋が、乃木夫妻が殉死した部屋です。

 

 現在は補修中のためデッキからも中を見られず、遠くから建物外観を眺めるだけとなってしまいました。残念ですね。


マッカーサー元帥手植えの樹  マッカーサー元帥手植えの樹があります。き マッカーサーは青年時代、乃木将軍と生前に面会して衝撃的な印象を受け、以来彼を尊敬するようになったと言われています。


●「マックアーサーの植樹」

 

「終戦後マックアーサー将軍が植樹したアメリカハナミズキの樹」

 

 しかし終戦後に植えた割には、この樹やけに小さいですね。


乃木大将と辻占売少年像 
庭には乃木さんと子供の銅像が。乃木大将と辻占売少年像」

 

 明治24年、乃木希典は陸軍少将時代、金沢に出張に行き、そこで辻占売り(占いの一種)をしながら一家を支える今越清三郎少年に出会いました。乃木さんはこれに感銘を受け、少年に金2円を手渡しました。今越少年はその後努力し、金箔業の世界で大成したということです。

 

 乃木さんの人柄を伝えるエピソードとして建立されました。


馬小屋  乃木大将は馬を大事にしたといわれ、木造の母屋より立派だといわれたレンガ造りの馬小屋がありました。


野良ネコの家 

おまけ。庭の片隅に野良ネコのちっこい家らしきものが。ネコ こんな所がいかにも乃木さんの意思を引き継いでいるようで微笑ましいです。(≧▽≦)



■乃木夫妻の墓

 

 

 乃木将軍夫妻のお墓は乃木神社に近い青山霊園にあります。



乃木将軍夫妻のお墓 
(右)乃木大将のお墓。「陸軍大将乃木希典之墓」

 

(左)静子夫人のお墓。「乃木希典室静子之墓」

 

 石碑名がちょっと見にくいですが、墓碑は乃木将軍自らが生前選び、軍人には珍しい自然石が採用されています。
 


2人の息子のお墓 

夫妻の墓石の向かい側に、日露戦争で戦死した2人の息子のお墓が立っていました。

 

(左)長男:陸軍歩兵中尉・乃木勝典墓

 

(右)次男:陸軍歩兵少尉・乃木保典墓


石燈籠 

乃木家の石燈籠の中に毛布みたいなものが詰まっていると思ったら、なんと中でネコが昼寝していました!∑(゚Д゚)

 

 ネコにも慕われる乃木大将のお墓・・・( ´艸`) お墓にまで、いかにも乃木さんらしい雰囲気が漂っていました。