言語:日本語、公開:1995 (平成7)年、製作国:日本、
時間:129分、監督:出目昌伸、出演者:織田裕二、風間トオル、的場浩司、緒形直人、仲村トオル、鶴田真由
以前製作された同じ映画に続く、2度目の「わだつみの声」です。内容は前作と違うということですが、前作を見ていないので何とも言えません。
映画には人によっては見ていて気持ち悪くなるかもしれない話が登場します。(私は気持ち悪くなりました)
ラグビーの練習をしている最中に亡霊のように元学徒兵、勝村寛少尉(右・織田裕二)が現れ、鶴谷は突然昭和18年の学徒出陣式にタイムスリップしてしまうという奇想天外な話で始まります。
映画では勝村少尉(画像・左)がフィリピンに駐在する話がメインです。
その間を縫って特攻隊で出撃する海軍少尉の学徒兵の話(仲村トオル)、現代から戦時中にタイムスリップした大学生・鶴谷が戦争から逃げ回る話も入ります。
勝村少尉が乗った輸送船がフィリピン沖で米軍に撃沈されてしまい、彼はフィリピンの海岸にたどり着きますが、はぐれ部隊となってしまいます。
ここから次から次へと気分が悪くなるような話のオンパレードになります。
変な脱走兵(中央・的場浩司)、行為を強制される朝鮮人の慰安婦、村を略奪・現地人を暴行し放題の日本兵などが登場します。
さらにフィリピン人の住民虐殺、現地女性のレ●プ、日本兵による日本人看護婦レ●プ未遂、日本兵の共食い、軍隊の制裁、特攻攻撃などなど。
個々の事件はありえたのかもしれませんが、一度に戦争の暗部をこんな凝縮して盛り込んでしまったことに無理がある気がします。
そのため個々の問題を語りきれずに消火不良となり、インスタントラーメンみたいに薄っぺらな印象になってしまいました。
製作者は日本兵による残虐行為を立て続けに見せることで、反戦という趣旨を訴えているのだろうと思います。しかしなぜかこの映画では、それらの演出が安っぽいものに見えてしまうのです。
例えば人肉の一部をもぎ取られた日本兵の死体が映し出されて、それを見つけた日本人従軍看護婦が驚いて叫ぶ場面があります。この演出により映画上では、人肉食を行った日本兵が極悪人だったということで、戦争の醜悪さが表現されます。
しかし実際になぜ日本兵が人肉食をしなければいけなかったのかというと、日本軍が進攻中の糧食計画をろくに立てず、補給もしなかったためです。従って前線の将兵は、やむなく現地での食料略奪によってそれを賄わなければならないという面がありました。
それも出来ずに食料が尽きれば、今度は食べられるものは何でも口にし、最後には人肉食ということになります。結局、大元の責任は日本軍上層部にあります。
フィリピン上陸も上層部の指示ですし、一見加害者に見える末端の日本兵は、同時に軍上層部のいい加減な作戦の被害者だったことにもなります。
また現地住民の殺害にしても、住民を装ったゲリラが突然日本軍を反撃するということもあり、被害者に見える住民側が一転して加害者になるというケースもありました。
このような加害者が別の視点から見れば被害者、被害者が一転して実は加害者になる可能性があるという背景が分かっていなければ、歴史を知らない人がこの映画を見ても、ただ「日本兵は残虐だったんだ」という印象が残るだけだと思います。
監督はそれなりに正義感を持ってこの映画を製作したのかもしれませんが、どこか見せ方が一元的、印象も短絡的で、日本軍を批判するにしても、もっと話に深みの入った演出の仕方を工夫すべきではなかったでしょうか。
この映画の感想を一言でいうと、「なんだ、こりゃ!?」でした・・・。(^_^;)
内容的には、反日を掲げる国が製作したような映画に見えるかもしれません。