日本軍戦死者の大半が餓死だった太平洋戦争 | 太平洋戦争史と心霊世界

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飢餓 



 大東亜戦争(日中・太平洋戦争)において、1977年の厚生省の発表によると、日本人の戦没者数は310万人、そのうち軍人・軍属・準軍属を総計とした日本軍人の戦没者は、230万人と言われています。

 

 この戦争で極めて特徴的だったのは、戦没者軍人の過半数以上が戦闘による戦死ではなく、餓死・病死であったことです。

 

この状況は局地的なものではなく、ガダルカナル島などの食料が手に入りにくい島嶼(とうしょ)を始めとし、物資が豊富に流通している中国戦線でも関係なく、至る所で発生しました。

 

 また食糧不足からくる栄養失調によりマラリア、赤痢、デング熱、脚気などが発生し、多数の病死者が発生しました。病死も根本的には飢餓が原因です。

 

 現地での糧食の摂取状況は、以下の通りです。

 

 「ガダルカナル撤収後におけるブーゲンビル島の戦闘では、小川の魚はすぐとり尽くされ、蛋白質の給源はトカゲ、蛇、鼠、バッタなどで、『ひどい時には飯盒の蓋一杯の野草が食料で、これに時に澱粉椰子の団子が加わる程度』だったという」。

 

 さらに食料を探しに離隊した兵士が、軍法会議にもかけられず銃殺刑にされるという事件が続出しました。

 

 日本軍にこのような飢餓状態が発生したのは、日本軍のインパール作戦をはじめとする無謀な作戦、兵站を軽視するという側面が原因となりました。

 

 無理な作戦から発生する補給の途絶、糧食は携行せず現地の物資を奪って賄うという兵站計画によって食料が不足することにより、大量の戦病死者が生み出されたのです。

 

このような特徴は、当時の日本軍の特質をよく表している一側面でもあります。

 

 

『餓死(うえじに)した英霊たち』、藤原 彰、青木書店、2001

『昭和の欠食児童』、山下 文男、本の泉社、2010