
慰安婦問題では、日本での論調を見ていると、保守派を中心とした層では「慰安婦の強制連行はなかった。従って当時の日本軍の行為に落ち度はなかった」という、理論的に相手を言い負かそうとする議論の展開が多くみられます。
しかし慰安婦問題を提起する韓国では、これを人権侵害という観点から世界的に訴えています。アメリカをはじめとした第三国も韓国に同調し、「日本は慰安婦問題での人権侵害を認めようとしない」という、日本の態度に反対する世論を形成しています。
世界の情勢は現在、理論的に問題を論破しようとする日本と、人権侵害を訴える韓国、それに同調する世界との二派に分かれています。ここではスピリチュアリズムの視点から慰安婦問題を考察していくことにします。
スピリチュアリズムとは、交霊会などで高級霊からもたらされた通信内容を、実際の日常生活に生かしていこうとする試みです。高級霊が語った哲学を基にすると、日本は百万の言葉を尽くして相手をロジカルに論破しようとしても、論争に負けることが予測されます。
日本の言い分は一見論理的で整合性が取れており、正当性があるように見えます。しかし論理で負かそうとする知性と、人非人な行為はやめろという人権的な訴えを焦点とした道徳性で争った場合、勝つのは道徳性(人権侵害)を拠り所に訴えた側です。
それはなぜかというと、「道徳性」は、「知性」よりも、より上位に来る高度な価値観であると、スピリチュアリズムではみなされているからです。この内容は以前記事にしたこともありますので、よろしければ以下ご参照ください。
【参考記事】知性と道徳心、どちらが重要か
人間の価値観の拠り所は本能→知性→道徳性という順序で発達していきます。高級霊によると、現在の人間の価値観は、知性から道徳性へと重点が推移している過渡期であると述べられています。
未開時代の人間には初めに本能ありきで、その状況から色々創意工夫を繰り返すことによって、知性が芽生えてきます。知性が発達すると自分で自由に物事を考えていく自由意思の幅が大きくなっていきます。
自由にあれこれ考える思考形態が増すに従って、次第に善悪の判断ができるようになり、善悪のどちらかを自分で選択できるようになります。
ここでいう「善」(良い事)とは、単純に言うと人のためになる行いです。「悪」(悪い事)がその反対の、自分本位の利己的な行為です。
人間は善悪の見分けがつくようになり、次に善悪のどちらかを自分の意志で選択するようになるとその結果、道徳性が発達していきます。つまり、道徳性はレベルとして最上位に来る人間の価値観なのです。
解説:人間は最初に動物同様の本能ありきの状態から知性を発達させ、善悪の判断がつくようになると、知性の次に道徳性が発達する。道徳性が人間の最高レベルの価値観となる。
知性的に国を治めるX国と、武力で他国を制圧するY国を現代人が見た場合、非難すべきは本能のままに行動するY国になると思います。
これはなぜかと言いますと、人間の価値観は本能→知性→道徳性の順に発達していくため、より下位の本能的価値観を拠り所にしているY国は、現代人にとって知性的なX国より野蛮に見えるからです。
慰安婦問題も上記の例と同様です。知性と道徳性を戦わせた場合は道徳性が勝ちます。つまり慰安婦問題を人権侵害であると、道徳的価値観に訴えた側が優勢になります。
それは道徳性という価値観は知性より上位レベルに位置すると、無意識のうちに人間も認識しているからなのです。
長くなりましたので一旦切って、後半に続きます。