戦艦大和で特攻した吉田満氏の戦後観 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


前回に引き続き、『戦艦大和ノ最期』の著者、吉田満氏の主に戦後社会に対しての所感です。


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●二等水兵となった学徒兵

 

 

 「われわれの二等水兵時代(注1)は、50日程度と短かったけれども、そこで味わった経験の重さを、時間の長さや量ではかることはできない。

  苦悩の第一は“文字というもの”からの絶縁であり、第二は徹底して受動的な日常、すなわち日夜の鉄拳制裁を甘受すればそれで万事がすみ、自己凝視、自己反省の余地が全くないという空白感であった。」

 

注1)戦時初期の海軍での学徒出身者は、例えば海軍経理学校入学と同時に中尉に任官された。昭和1810月の学徒出陣以降は、二等水兵(陸軍は二等兵)の経歴を経なければならなかった。

 

 

●戦後のアイデンティティーを確立できない日本人

 

 

 「日本人はごく一部を除き、苦しみながらも自覚し納得して戦争に協力したことは事実であるのに、戦争協力の義務にしばられていた自分は、アイデンティティーの枠を外された戦後の自分とは、縁のない人間とされ、戦中から戦後に受けつがるべき責任は、不問にふされた。戦争責任は正しく究明されることなく、馴れ合いの寛容さのなかに埋没した。

 

 戦後生活を過りなくスタートするためには、自分という人間の責任の上に立って、あの戦争が自分にとって真実何であったかをまず問い直すべきであり、国民一人一人が太平洋戦争の意味を改めて究明すべきであるのに、外から与えられた民主主義が、問題のすべてを解決してくれるものと、一方的に断定した。

 

 敗戦によって、いわば自動的に、自分という人間は生まれ変わり、あの非合理な戦争に突入した日本人の欠陥も、おのずから修正されるものと、思いこんだ。

  『自分は、はじめから戦争には批判的だった』『もう戦争は真っ平だ。戦争をひき起す権力を憎悪する』とさえ主張すれば、それがそのまま平和論になると、タカをくくった。」

 

「敗戦を契機に、アイデンティティーの意味を改めて確認し、その内容を充実させるために努めるべきであったのに、アイデンティティーそのものが、日本人の発想のなかから意図的に排除された。」


大本営海軍部 

  

●戦勝国が正義ではない

 

 

 「日本人としてのアイデンティティーの確立にあたって、太平洋戦争の原因、経過、結末を客観的に分析することが、有力な手がかりとなることはさきにふれたが、たとえば連合軍の勝利は、正義の側に立つものが勝つという原則の当然の帰結であるとする単純な史観は、戦後の情勢変化によって否定されている事実を、認めなければなるまい。

 

アメリカにとってのベトナム戦争、ソ連にとってのハンガリー事件、チェコ事件、中ソ紛争、中近東をめぐる列強の衝突は、国家がかかげる正義の理想のあり方が、太平洋戦争以前と同じように、なお明白でないことを示している。」

 

 

●未だなされない戦争決算

 

 

 「太平洋戦争が昭和史50年の方向を決定づけ、その時代の歴史としての帰趨の死命を制した事件であったことは、疑いをいれぬ事実である。

 

しかし戦後30年をへた今(注2)、この戦争が日本人にとって何を意味したかという課題は、まだ解かれていない。解かれていないどころか、正面から問われてさえいないと私は考える。」

 

注2)本書、『戦中派の死生観』は1980(昭和55)年に出版された。