戦艦大和で特攻した吉田満氏の死生観 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


 『戦艦大和ノ最期』の著者、吉田満氏は学徒兵として海軍へ入隊し、戦艦大和の沖縄特攻で生還した人物です。



吉田満少尉   

当時の吉田満氏(19231979

 

 吉田氏の著書に『戦中派の死生観』というエッセイがあるのですが、この中で戦時中の心境や、戦後の戦争の捉え方を書いた部分を抜書きしてみました。

 

 

●特攻に臨んで

 

 「出撃がほとんど生還を期し難い特攻作戦であることをはじめて知らされた時、まず胸にきたのははげしい無念さだった。

 

学生として豊かな希望を恵まれながら一転して軍隊の鞭と檻の中に追いこまれ、しかも僅か22歳の短い生涯を南海の底に散らなければならないことへの憤り、自分が生れ、生き、そして死ぬという事実が、ついに何の意味も持ちえないのかという焦慮。

 

――しかしいよいよ戦闘の最後の場面で、乗艦がほとんど真横に傾き水平線が垂直に近い壁となって蔽いかぶさってきた時、立てない程に疲れ果てた私にはも早や悔いも憤りもなく、純粋なある悲しさと、何かを訴えたいような昂(たかぶ)りだけが残っていた。」


敬礼 

 

 

●戦前派の罪

 

 「われわれを戦地に駆り出そうと迫る暴力に対して、われわれが苦しみながらもそれを受け入れたのは、歴史の流れがすでに逆戻りを許さぬ深さまで傾いていることを知ったからである。

 

先輩たち、すなわち戦前派の世代は、今に至るまで様々に釈明を試みているけれども、結局は彼らの責任において、日本は果てしない長期戦の方向に決定づけられた。しかし戦火に身をさらしたのは、彼らではなく、われわれの世代であった。

 

 昭和6年以来の大戦争が、遠からず日本の完敗に終るであろうことを、軍の実情を知る立場にいたわれわれは、正確に予感していた。

 

日本をしてそこまで戦争に深入りさせたものは何か。このような形で敗れねばならないのは何故か。敗れたあとに来るものは何か。われわれが学徒兵として、学業半ばに志を曲げて死ななければならないのは何故か。日本人はこの巨大な浪費と、そのあとにくる無残な破局から、何を学びうるのか。

 

 そのために死の代償まで求められたわれわれが、こうした命題の究明に真剣でなかったはずはない。少なくとも、戦前派の大多数のように、開戦劈頭(へきとう)の大戦果に酔い痴れるような振舞は、戦中派にはありえなかった。

 

自由主義者を自認する人たちでさえ、思いがけず祖国日本が米英の横暴さに一矢を報いる場面を、狂喜して歓迎した光景が今も忘れられない。

 

われわれに精神の自由と人格の尊厳とを説いてきた教師や社会人が、一夜にして日本主義者に変身した異様な印象を、忘れることができない。」