海上でのサバイバル術 (2) | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


漂流 

 海で艦が沈没して遭難した際の対応術をご紹介しています。

 

 

■赤褌(ふんどし)で鮫を避ける

 

 

 これは陸軍軍人たちが、輸送船が沈んで鮫に襲われた時の対策を話している場面ですので、海軍でも同様だったのかは分かりません。

 

陸軍軍医が他の将校に、赤褌を身に付ければ鮫避けになるという指導をしています。

 

 「『鮫が来たと思ったら、褌を長々と流します。鮫は、ひどい近眼だそうですから、自分が食いつきたいと思う獲物の身体に沿って泳ぎまして、自分より小さければ攻撃しますが、比較して自分より長くて大きければ退却する性格を持っておりますから、褌を流しますと、その効用が現れます。

 

褌は、大体3メートルありますから、大抵の鮫は逃げるはずです。3メートル以上の鮫が来た場合は、覚悟をした方がいいようです。この赤褌も、キニーネ(抗マラリア薬)も、乗船のときは腰に付けておいてください。以上です』と言った」。

 

 

■浮き代わりの角材は命取りとなった

 

 

 陸軍の輸送船では、遭難した際の浮き代わりに角材を積んでいましたが、これがかえって命取りとなりました。

 

 輸送船業務に従事していた船員がこう証言しています。

 

 「『あたし、これで4度目の輸送船乗務で、二度も泳いでいるんですよ。そのときも、陸軍さんが、泛水(はんすい)材料だって、そんなもの(角材のこと)積んでましたな。

 

浮き代わりにしようってんでしょうけど、こういう材木や竹竿はね、船が撃沈されると一緒に沈んじゃうんですが、一定の深さまで沈むと、反射的に、すぱっと、大砲の弾丸みたいに水面に向かって、飛び上がって、泳いでいる兵隊さんの頭や腹に、ぶち当たって、ずいぶんと死にましたよ。

 

浮きの代用品に、材木を使うなんて発想は、机上の空論ですな。こんなものに頼らない方がいいですよ』」。

 

 

■救命ロープへの一工夫

 

 

 昭和1910月、レイテ沖海戦で駆逐艦「朝霜」は撃沈された重巡「愛宕」(あたご)の乗組員の救助に当たっていました。

 

その際朝霜から投げられた救助ロープには、先端に40センチほどの棒がくくりつけられてあり、この棒にお尻を乗せることで救難者を難なく引き上げられるような工夫がなされていました。


救命ロープ 

海中で遭難者は体力を使い果たしていることも多く、救命ロープを投げても、それにすがるだけの体力も残されていない者も多かったといわれます。

 

朝霜に助けられた愛宕の乗組員、印南兵長は「ちょっとした工夫で、疲れはてた身体をらくにあげてもらえた。思わぬところで命びろいをさせてもらった・・・」とのちに感謝していました。