海上でのサバイバル術 (1) | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。

 
大和の沈没 


 海軍将兵は海の上では艦艇が命綱で、艦が沈めば生きていく場がなくなります。そんなわけで海軍では、海上でのサバイバル術や、生き残るための創意工夫が伝授されていました。

 

 ここではそのようなエピソードをご紹介します。

 

 

■船酔い防止法

 

 1943(昭和18)年に軽巡「阿武隈」(あぶくま)に着任した主計長、市川浩之介少佐の船酔い防止法です。

 

「私は大きな船の揺れ方では絶対船酔いしない自信があるが、小舟の揺れは大の苦手である。『酔ってはみっともない』と言うことで私はこの内火艇のチャージをつとめている阿武隈の砲術士浜尾誠少尉の横に立って行った。それは、

 

『船酔いは遠くの景色を眺めていると防げる』

 

 ということを、天竜(軽巡)での南洋勤務時代に、高橋雄次艦長に教えられていたからである」。

 

 

■艦が傾いた方から海へ飛び込む

 

 海軍では「艦が沈没するときには、傾いた方向から早く海へ逃げ、渦に巻き込まれないように早く泳いで艦から離れろ」と教えられていました。

 

 しかし中にはいざとなると、あわててその教えを忘れてしまった乗組員もいました。昭和204月、戦艦大和が沈没する際の出来事です。

 

 「高くせりあがった右舷のハンドレールにぶら下がっている兵たちを見たある上官は、『あの馬鹿どもがあー、渦に巻き込まれるぞおー』と必死に叫んでいました」。


撃沈

 

 

■服を着たままクロールするな

 

 海中で服を着たままクロールで泳ぐのは体力の消耗が激しすぎるので、絶対にしてはいけないと言われていました。

 

 しかし遭難者の中には、あせりと不安からいたたまれずに泳ぎだす者もいました。

 

 「(海の中で救助を)じっと待っていなければならない。そんな中、待ちきれずに一人が泳ぎだしました。見事なクロールでした。(中略)

 

 『馬鹿やろうー、戻れえー、戻れえー』と上官が大声で制止しましたが、聞きません。どんどん遠くなります。そしてもう一人が続きました。

 

しかし、見ていると、駆逐艦まで半分も行かないうちに、まもなくふたりとも、海面からスーッと消えてしまいました。『見ろ、言ったとおりだろう』と上官は言いました。誰も、返事をしませんでした」。

 

 

■至近弾で目が飛び出る

 

 これは海中での対応策ではないですが、敵機の機銃掃射を受ける際は、直接当たらなくても至近弾だけで目が飛び出ると言われていました。

 

従って艦上で敵弾を浴びた場合は甲板にうずまくり、両手で目を押さえろと指導されていました。