
霊媒の指導霊であるエラストからのメッセージ:
「このケースから引き出すべき教訓は、『地上におけるすべての人生が相互に関連している』ということでしょう。心配、悩み、苦労といったものは、すべて、まずい事を行った、あるいは、正しく過ごさなかった過去世の結果であると言えるのです。
しかし、これは言っておかねばなりませんが、このアントニオ・B氏のような、ああした亡くなり方は、そんなに多く見られるわけではありません。
彼が、何一つ非難すべきことのない人生を終えるにあたって、ああいう死に方を選んだのは、死後の迷いの時期を短縮して、なるべく早く、高い世界に還るためだったのです。
事実、彼の犯した恐るべき罪を償うための、混乱と苦しみの期間を経たあとに、初めて彼は許され、より高い世界に昇っていくことができたのです。
そして、そこで、彼を待っている犠牲者 ―― つまり、奥さんのことですが ――と再会を果たしたのです。奥さんは、すでに彼のことはずいぶん前から許しています。
ですから、どうかこの残酷な例によく学んで、あなたがたの肉体的な苦しみ、精神的な苦しみ、さらには人生のあらゆるこまごまとした苦しみを、辛抱強く耐え忍ぶようにしてください」
――こうした処罰の例から、人類はどんな教訓を引き出せばよいのでしょうか?
「処罰は、人類全体を進化させるために行われるのではなくて、あくまでも、罪を犯した個人を罰するために行われるのです。実際、人類全体は、個人個人が苦しむこととは何の関係もありません。罰は、過ちに対して向けられるものだからです。
どうして狂人がいるのか?どうして愚かな人間が存在するのか?どうして、死に際して、生きることも死ぬこともできずに、長いあいだ断末魔の苦しみにさらされる人がいるのか?
どうか、私の言うことを信じ、神の意志を尊重し、あらゆることに神の思いを見るようにしてください。よろしいでしょうか?神は正義です。そして、すべてのことを、正義に基づいて、過つことなくなさるのです」
(アラン・カルデック)
この例から、われわれは、偉大な、そして恐るべき教訓を引き出すことができる。それは、「神の正義は、一つの例外もなく、必ず人に裁きを下す」ということである。
その時期が遅れることはあっても、断罪を免れるということはあり得ない。大犯罪人たちが、ときには地上の財物への執着を放棄して、心静かに晩年を送っていたとしても、償いのときは、遅かれ早かれ、必ずやってくるということなのだ。
この種の罰は、現実にこうして目の前に見せられることで納得できるものとなるが、それだけではなくて、完全な論理性を備えているがゆえに、まだ理解しやすくもあるのだと言えよう。理性に適(かな)ったものであるがゆえに信じることができるのだ。
尊敬すべき立派な人生を送ったからといって、それだけですべてを償うことができ、厳しい試練を免れることができるとは限らない。
償いを完全に果たすためには、ある種の過酷な試練をみずから選び、受け入れなければならないこともあるのだ。それらは、いわば、借金の端数であって、それらをしっかり払いきってこそ、進歩という結果が得られるのである。
過去幾世紀にもわたって、最も教養のある、最も身分の高い人々が、正視に耐えない残虐な行為を繰り返してきた。数多くの王たちが、同胞の命を弄(もてあそ)び、権力をふるって無辜(むこ)の民を虐殺してきた。
今日、われわれとともに生きている人間の中に、こうした過去を清算しなければならない人々がたくさんいたとしても、何の不思議があるだろうか?
個別の事故で亡くなったり、大きな災害に巻き込まれて亡くなったりと、数多くの人々が亡くなっているのも、別に不思議なことではないのかもしれない。
中世、そして、その後の数世紀のあいだに、独裁政治、狂信、傲慢、偏見などが原因で、数多くの罪が犯された。それらは、現在そして未来への膨大な量の借金となっているはずである。それらは、いずれにしても返さなければならない。
多くの不幸が不当なものに見えるのは、いまという瞬間しか視野に入らないからなのである。
『アラン・カルデックの霊との対話』-天国と地獄Ⅱ、アラン・カルデック著、浅岡夢二訳
キーワード:因果律(カルマ)、再生、殺人を犯したカルマ