海上自衛隊・第二術科学校(横須賀市田浦)
先々週は横須賀の海上自衛隊・第二術科学校で旧海軍の展示室を見学した様子を掲載しました。
そこには自衛隊の展示室もあり、海上自衛隊の成り立ちについて海自のガイドさんがご説明くださいましたので、ざっとご紹介したいと思います。誤りがあった場合、ご指摘いただけましたら幸いです。
■海上自衛隊の発足まで
終戦後、海軍は解体されました。旧海軍の業務は海軍省から旧海軍残務処理機関(第二復員省)へと引き継がれました。
旧海軍軍人は公職追放で公的業務に就けなくなりましたが、その間にも旧海軍軍人の間で、海軍を再建しようとする研究が密かに続けられていました。
米内光政(1880-1948)。「海軍再建の思いを持ち、軍務局長の保科善四郎に海軍中将に再建を指示しました」
1948(昭和23)年、海上保安庁が発足しました。設立の背景として、朝鮮半島から日本の組織が引き上げ、医療機関などのインフラが滞ってしまったので、半島から日本へ密入国者の増大が問題化し、取り締まりが必要となった事情がありました。
また日本では海底に多く残る機雷の処理に手を焼いていました。このような問題もあり、旧海軍軍人たちが海軍再建を目指す組織と、米海軍が一緒になって「Y委員会」という秘密組織を設立し、問題点などを検討していました。
Y委員会
その結果、旧海軍の技術を機雷除去などに生かそうという事で、1952(昭和27)年、海上警備隊が誕生。
海上警備隊は、この展示室がある第二術科学校、つまり横須賀市田浦で創設されました。海上警備隊の誕生の背景には、公職追放されて職にあぶれていた旧海軍軍人を救済したいという要望もあったようです。
海上警備隊は海上保安庁の傘下に置かれました。しかし組織としての海上警備隊は海上保安庁の配下ではなく、並列する形で設置されました。これは海上警備隊が将来、海上保安庁から独立することを見越していたための措置でした。
そして1954(昭和29)年、保安庁が防衛庁に移行され、海上警備隊も海上自衛隊に改変されました。
■陸上自衛隊
ついでに陸上自衛隊もちょこっと取り上げます。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発し、米軍は朝鮮半島に出払い、日本の警備はがら空きの状態になりました。
そこで日本に守りが必要という事で、警察予備隊が発足しました。これが陸上自衛隊の元祖です。
警察予備隊
海上自衛隊とは違い、陸上自衛隊では公職追放された旧陸軍軍人の採用はできませんでした。
ここが陸自と海自の相違点で、海上自衛隊は旧海軍からの伝統を継承していますが、陸自は米軍を手本とし、旧陸軍の伝統はほとんど継承されず、戦後は旧軍とは全く別の新しい組織となっています。
■航空自衛隊
戦後米空軍に習い、全くのゼロからスタートしてできた組織です。旧日本陸海軍の航空組織を寄せ集めたとか、そのような経緯はなく、旧日本軍からの文化的継承もありません。





