海上自衛隊・第二術科学校での海軍関連展示品の見学の続きです。
海軍機関学校を首席とか、優秀な成績で卒業した生徒が受け取った短剣です。この短剣は飾りで刃は切れないようになっていると読んだことがあったので、お訊きしてみたら、やはり切れないのだそうです。
特務士官の階級章から兵科・機関科・主計科・軍医薬剤科・技術科・法務科まで全部揃っています。大将になれるのは兵科だけなので、大将の階級章も兵科にしかありません。
指揮系統も兵科に一番の優先権があり、ある場所に機関科の大佐と兵科の少尉しか士官がいなかった場合、兵科の少尉が指揮を執るという制度になっていました。
古賀峯一・第28代連合艦隊司令長官(1943年4月~1944年3月在任)
古賀峯一戦死後に連合艦隊司令長官となった、豊田副武(そえむ)の書。
やはり人によって文字の趣は違いますね。古賀峯一長官は几帳面にガッチリ、豊田長官は柳が風に吹かれるような筆致です。
豊田副武・第29・30代連合艦隊司令長官(1944年5月~1945年5月在任)。彼は戦時中に司令長官を辞めましたが、戦後まで生き残っています。
「昭和10年11月13日、鹿児島・宮崎における特別大演習終了後、都城飛行場における記念写真」
軍人が何万人も大集合した珍しい写真です。

一番前列中央に昭和天皇が写っています。


この時代の人々が書く文字や図解は、まさに印字に匹敵するような美しさです。パソコンがなかった時代だけに、手書き文字は誰にでもわかるように丁寧に書け、という意識が徹底されていたのかもしれません。

上の図を拡大したもの。

浅野和三郎は東京帝大を出て、横須賀の海軍機関学校に英語教官として1899(明治32)~1916(大正5)年まで、約17年間教えていました。スピリチュアル分野での翻訳者として有名です。
浅野和三郎。1874(明治7)年-1937(昭和12)年、享年62歳
彼の後任の英語教官が芥川龍之介で、こちらは大変有名ですが、浅野和三郎さんを知る方は滅多にいないようですね。スピリチュアル関連者だけかも。
海軍機関学校の資料は巷でもあまり見られませんが、機関学校の資料を見るのだったら、舞鶴の元機関学校の方がずっと多いとガイドの方は言われていました。
■海上自衛隊第2術科学校・海軍機関術参考資料室