言語:日本語、公開:1965(昭和40)年、製作国:日本、
時間:105分、監督:丸山誠治、出演者:三船敏郎、山村聡、中丸忠雄、稲葉義男、藤田進
キスカ島撤退作戦についての戦争映画はこれだけだと思います。昭和17年6月のミッドウェー海戦の際、日本軍は陽動作戦として米国領のアッツ・キスカ島も占領しました。
しかし間もなくアッツ・キスカ島は米海軍に包囲され、翌昭和18年5月、アッツ島の日本軍は玉砕。キスカ島に留まっている日本軍は取り残されました。
この残留している陸海軍将兵たちを、海軍が霧に紛れ全員無事回収したことから、当作戦はタイトルにもあるように「奇跡の作戦」とも呼ばれました。
北太平洋に位置するアッツ島・キスカ島。キスカ島守備隊を救出する艦隊は、カムチャツカ半島南にある幌莚(ほろむしろ)島から出港しました。
キスカ島撤退作戦の指揮を執ることになった、第一水雷戦隊司令官の大村少将。戦争映画でお馴染みの三船敏郎さんが演じています。
映画で大村少将は「兵学校ではドンケツ」だと言われていましたが、実際の卒業順位は118人中107位でした。ドンケツではないですが、まあブービー賞に近い形ですね、兵学校では賞は出ませんけど。
ご存知かもしれませんが、海軍兵学校のハンモックナンバー(卒業席次)はその後の出世に多大な影響を与えるとされています。しかし中には米内光政など成績が中の下くらいで出世した軍人もおり、私はこの説は本当なのか疑っています。
また映画での大村少将は変名で、実名は木村昌福少将でした。他には作戦に参加した艦艇が実際のものとは異なるなど、当映画は実話をベースにし、多少のフィクションが混じっています。
このように将兵が大勢出てくる場面が多いのですが、陸海軍どちらもいるはずなのに、なぜか海軍服の軍人しか見当たらないのがちょっと気になりますね。

キスカ島では海軍の艦隊が迎えに来ると聞き、陸海軍将兵が毎日海岸まで来て艦を待っています。しかし艦隊側では中途半端な霧のため視界がごまかせず、米軍に包囲されたキスカ島に突入できずに反転帰投を毎日繰り返します。
迎えの艦隊が今日も来なかったとわかると、がっかりして海岸から元の駐留場所へ帰って行きます。
映画では将兵たちが海岸に毎日気軽に集まっているように見えますが、実際には駐留場所と海岸線の間には峠があり、山越えが大変だったそうです。
カモフラージュの霧が発生せず、艦隊がなかなか来られないのと、無線封鎖でお互い連絡がつかないので、守備隊は海岸で撤退に備えた集合・解散を毎日繰り返していました。
ようやく霧が深くなった7月29日、旗艦「阿武隈」(あぶくま)率いる艦隊が、霧に紛れキスカ島に突入します。
この映画は60年代製作にしては特撮が優れていて、明らかにオモチャの模型とわかるような稚拙さがありません。上の画像も模型で撮影されたと言われていますが、実写のようにリアルに見えます。
ようやく日本艦隊が姿を現し、守備隊は大発で艦艇へ乗艦。できるだけ速やかに撤退するため、大発や将兵の三八式歩兵銃など、余計な物は全部廃棄しました。
持ち込める荷物は遺骨のみ。そのためキスカ島守備隊・5,200名は、わずか55分という短時間で撤収を完了しました。
このような、一人残らず無事撤退という作戦は戦史上でも珍しい成功例です。
その後、日本軍はまだいると思い込んでいた米軍は、キスカ島に上陸して同士討ちをしたのち、見つけたのは犬2匹だけでした。
上の画像が残留予定のワンコ。犬は連れていけないので残すしかありませんでした。
これは日本軍にとって快挙と言える作戦でしたが、一方では日本軍が捕虜となることを許していたら、投降させればいいのだから、わざわざ大変な危険を冒してまで救援作戦をする必要もなかった、という声も聞かれます。
でも日本軍は太平洋戦争で昭和17年以降はやられっぱなしですから、米軍のまんまと裏をかいたところを見てスカッとした、という方も多いかもしれません。そういう方にはお勧めの映画です。
キーワード:キスカ島撤退作戦「ケ」号作戦、アッツ島、海軍、木村昌福少将