
護衛艦「やまぎり」の見学ついでに訪れました。ここは日本郵船(株)が運営しており、自社の海運史を紹介しています。
入場料は大人400円を払うとドリンク券として、トークン(専用コイン)が付いており、最後に休憩室の自販機で無料でコーヒーなどが飲めるようになっていました。これは良いアイディアですね。

休憩室の「ティーコーナー」
日本郵船は現在売上高が日本最大の船舶会社で、明治期に岩崎弥太郎の郵便汽船三菱と合併して誕生しました。政府の補助も受け昭和16年に日本最大の船主となるも、太平洋戦争で船舶を徴用され、終戦時にはほとんどの船が海の藻屑と化してしまいました。

1936(昭和11)年建築の重厚な外観の博物館。
中は撮影禁止なので、以下は案内書の画像もお借りしています。会社なので貨物船・(豪華)客船の展示が多いのですが、日露戦争・太平洋戦争で活躍した、名の知れた一部の船も日本郵船が出自となっていました。
■日露戦争

仮装巡洋艦「信濃丸」
最初は日本郵船で貨客船でしたが、日露戦争で徴用され巡洋艦となり、哨戒中にバルチック艦隊を発見し、「敵艦見ユ」と無線を打ったことで知られています。
展示は信濃丸の模型、東郷司令長官から信濃丸に授けられた「信濃丸宛感謝状」などがありました。
■太平洋戦争
氷川丸。貨客船でしたが開戦後は海軍に徴用され病院船となりました。戦火を免れ、現在は横浜の山下公園に係留され、船内を見学できます。
輸送船「対馬丸」
貨客船だったのを陸軍に徴収されましたが、昭和17年に任務を解かれて物資の輸送船となりました。昭和19年8月、学童疎開児童と一般人の約1,700人を乗せ、沖縄から長崎へ向かう途中、潜水艦の雷撃を受け沈没しました。
貨客船「新田丸」 ⇒ 空母「冲鷹」(ちゅうよう)に改装(上の画像)など、民間船も徴用され軍用に改装・転用されていました。
展示室の一部
日本郵船の船に「山城丸」や「赤城丸」という船がありましたが、海軍にも戦艦「山城」、空母「赤城」があります。民間と海軍で船名がかぶっても問題なかったのでしょうか。
「185隻、5,312人の尊い犠牲」
「日本海運は太平洋戦争において人的にも物的にも壊滅的被害を受けたが、日本郵船も船舶のほとんどは軍に徴用され、兵員及び軍事物資の輸送にあたった。
また一部は海軍省に買い上げられたり、病院船としての任務についたが、185隻もの船腹と5,312人の尊い人命を共に失うこととなった。まさに日本郵船百有余年の歴史における最大の痛恨事である」

徴用船や後方支援船などの研究は地味な分野でしょうが、人があまり取り上げていない所だけに調べてみるのも面白いと思いました。
海軍でも兵科などの花形分野ばかりに目が行って、後方支援は冴えないイメージでおざなりになっていましたからね。
■日本郵船歴史博物館