【本】 『俘虜記』-大岡昇平の戦記文学 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。



  戦記文学で有名な大岡昇平は、1944(昭和19)年に召集されて、陸軍兵としてフィリピンのミンドロ島へ駐留、翌昭和20年に米軍の俘虜(ふりょ)となり、終戦過ぎまでレイテ島で収容所生活を送りました。


大岡昇平 

大岡昇平(19091988



 話は米軍に捉えられる直前の経緯から始まり、その後は延々と俘虜収容所生活での自分の内面を見つめ、戦友の生き様を描いた観察日記となっています。

 

 やや硬い文体ですが、中にはコミカルな描写も見られます。

 

「しかし私は中尉や少尉が我々を見て呶鳴(どな)りたくなった気持もわかるような気がする。私もその年(昭和20年)の3月病院から初めて収容所へ来た時、これら愉快な俘虜達がとても人間とは思えなかったものである。

 

その頃彼等は褌裸(ふんどしはだか)の単に猿のように罵(ののし)り騒ぐ人種であったが、今は米軍の被服の給与も行き届いて、なかなかりゅうとした恰好(かっこう)をしている」。

 

猿・・・バナナ発見 

  俘虜たちはサルだったのか・・・?( ̄Д ̄;; 

  俘虜収容所はこんな感じだったのでしょうか?

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サルと愉快な仲間たち 

サルと愉快な仲間たち   


 しかしショッキングな場面もあります。

 

「部隊と行動を共にした従軍看護婦が、兵達を慰安した。一人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したそうである。

 彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された。山中の士気の維持が口実であった。応じなければ食糧が与えられないのである」。


従軍看護婦 
 

 どうもこの時代の雰囲気を見ると、男性は必ず女性の相手がいなければ我慢できないという、ステレオタイプ的な思い込みを男女とも持っていたような気がするのですが、違うでしょうか。

 だから婦長も、気を利かせて自ら申し出たつもりで、一部のサルのような連中の餌食になって墓穴を掘ったのでは?

 

 こういう性の問題って非常に議論しにくいですが、中にはどうせ死ぬんだから女性はいらないと戦場へ出征していった軍人もいましたし、年齢によっても欲求は違ってくるかもしれず、個人差が非常に大きい分野なのではないかとも思います。

 当時
30代半ばだった著者も、女性不在でも戦場でそのような欲求に煩わされることはなかったと書いています。

 

それを全員一緒くたにこうである、と極めてプライベートな行為にもかかわらず、一方的な決めつけ・押しつけが過ぎる有様に、当時の価値観の限界を見る思いがします。


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