■「蟻地獄からの脱出」(三宅隆氏)
18歳で海軍に志願、昭和19年10月に台湾の航空基地に海軍の整備兵として勤務中、空襲で機銃攻撃を受け右眼と両手を負傷し、右眼は失明、左指は3本半ばより切断することになった。
昭和21年に復員したが、両親は既に亡くなり、兄弟も戦死した兄と結核で療養中の弟のみで帰る家がなく、親戚の家に世話になりながら生計を立てる。
闇市で人夫の世話役などをするも、周囲からは「特攻崩れの三ちゃん」とのあだ名がつくほどに荒れた生活となってきたために、一念発起して土木業に励む。
■「支えられた歩み」(蔀肇・しとみ はじめ氏)
ソ満国境警備の任にあった昭和20年3月、列車事故に遭遇。両足切断の重傷だった。終戦は満州の陸軍病院で迎え、ソ連軍に抑留されるも重傷ゆえに解放。そして、傷の回復と共に生き抜く気力を取り戻す。
翌21年8月の復員後、父の助言で時計修理技術を習得。後年、時計店を開く。同時に、障害者の自立更生にも心を砕き、ステッキ片手に奔走する。
■「衛生兵ゆえの感染」(築山英二氏)
昭和18(1943)年9月、第4師団衛生隊本部の衛生兵としてスマトラの患者療養所に勤務中、その時の結核患者の世話で自らも感染。
終戦後、昭和21(1946)年6月に復員。しかし結核の症状は進行したため、手術で肋骨6本を切除し、ようやく命をとりとめた。だが肺活量が少ないせいで、その後の仕事や生活で苦労した。
しょうけい館・戦傷病者資料館、記録映像資料より
(当館の視聴覚室で証言映像が視聴できます)