言語:日本語、公開:1965(昭和40)年、製作国:日本、
時間:131分、監督:岡本喜八、出演者:三船敏郎、佐藤允、伊藤雄之助、天本英世、団令子、仲代達矢
この記事は4回に分けてご紹介します。
昭和20年の終戦近い、中国の北支戦線(中国北方)を舞台にした陸軍映画です。具体的には戦争のアホさ加減をブラックユーモアで表した、破天荒なお話となっています。私的にはこういうお気楽極楽でふざけたようでいて、実はメッセージ性もちゃんとあるストーリーは好きですね。
ただ従軍慰安婦が前面に出てくる映画なので、その部分の批評がちょっと難しい。この点で男性視点と女性視点では、映画の印象も相当変わってくると思います。
また戦争での殺人の是非など、倫理的な価値判断が求められる場面が出てきますが、その場合の基準は、シルバーバーチなどの霊界通信を根拠にして述べさせていただきます。
【物語】中国、北支戦線。小杉曹長(三船敏郎)の配下には軍楽隊の少年兵、13人が配属されていたが、隊長の佐久間大尉(仲代達矢)から少年兵たちを軍楽隊から通常の兵扱いにし、前線へ送るよう命令される。
まだ未成年である部下を戦死させたくなかった小杉曹長は隊長を殴り、営巣入りとなるが、小杉を慕っていた慰安婦、お春(団令子)の隊長への嘆願で出所し、隊長から八路軍に占拠された「ヤキバ砦」を奪還するよう命令される。
小杉曹長は少年軍楽隊と、営巣の中にいた反戦軍人・志賀一等兵、ケンカっ早い料理人の犬山一等兵、墓穴ばかり掘って前線に出たことがない葬儀屋・持田一等兵と共に、ヤキバ砦を奪取に向かう。その後を小杉と一緒に転戦してまわっている慰安婦、お春が追随する。
猛訓練をへた少年兵たちは善戦するが、圧倒的多数の八路軍を前に次第に劣勢となり、ついに全滅してしまうのだった。
この炊事班長は、一等兵なのに上官の小杉曹長と同じくらい威張っています。なぜかと言うと・・・
「伍長がなんだ!軍曹が何だ!軍隊じゃ年季だぞ。オレあ7年兵だ。古兵サマサマだ」
つまり陸軍内部では権威のある順位は、年季 > 階級なんですね。海軍でもこのような傾向がありましたが、陸軍と同程度に、「年季」が「階級」に比べて権威があったのかはよくわかりません。
戦死者の土まんじゅうを作る、葬儀屋家業の持田一等兵(伊藤雄之助)は、軍隊でもやはり墓堀りが専業。作業しながらツイッターはないけどつぶやきます。
「靖国神社だけは行くなよ。ほかの神様にいじめられっから」
何でほかの神様にいじめられるのか分からないんですが、こういうセリフに監督の主張が込められているのでしょう。
何もしないので営巣に3年間入れられている志賀一等兵(左・天本英世)。炊事班長からもらった焼き鳥をコジキのようにむさぼり食って情けないのですが、
「殴るなら殴れ、俺は暴力を否定する」
と、反戦軍人としての矜持を持っています。
反戦をシルバーバーチ(霊界通信)の視点で言うと、本人が心から戦争は国のためにならない、と利他的な気持ちから戦わないのならば、それが本人の意思なのでやむを得ません。この場合はカルマも来ないです。
ただし心の中に、例えば20%程度の「自分が死にたくないから戦線へ出ない」という気持ちがあったら、また違ってきます。
みんなが強制的に戦争に駆り出されている中で、一人だけ死にたくないという動機で戦いを拒否するのは、一種の利己主義です。(自由選択がある場合は、自分で選べるのでまた違ってくる)
ですから20%の利己的な動機で戦争を拒否した場合は、その20%分のカルマがやって来ます。心というものは何%などと、きっちりと区切れるものではありませんが、このように因果応報は状況によって千差万別、ケースバイケースとなります。
罪が重い(利己的理由) > 罪が軽い(利他的理由)
自分が死にたくないので戦争拒否(100%) >
国のためにならない(80%) かつ
自分が死にたくない(20%)ので戦争拒否