前編の続きです。
落下傘部隊の戦友が登場。(本人から見て)左胸の丸に十字が落下傘部隊のマークです。
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整列する落下傘部隊
パラシュートをしょって機内から敵地に飛び降ります。
飛行機からの降下成功。ところが・・・パラシュートが出ても開かない人がいるみたいなのです。ゴミクズみたいに見えますが赤枠の中。
落下傘を開いてブラブラしている人の脇を、閉じた落下傘のようなものが上空からストーンと落ちていきます(左1の赤枠)。
そしてそのまま地面に・・・落ちるんですが~~!!
これがただの物か何かだったら良いのですが、本物の人だったらお気の毒です・・・画面を見ていても、その後地面から起き上がってくる人影は見られませんでした。
この時代の人はご飯(炭水化物)を山盛り食べて 、オカズが少ししかありません。もっとも食糧不足で無いのかもしれないですが、たんぱく質をほとんど摂ってないようなのが気になります。
役者さんご飯が食べられて役得ですね。(*^o^*)
部下「部隊長はさっき(英国機を見つけて)飛び出される時何と言われたかご存知ですか?」
加藤「ほう、何か言ったか?」
部下「はぁ、チャンス、チャンスと言われました」
加藤「あれぇ、そんなこと言ったか?」(笑)
部下「敵の国の言葉を使うなんて罰金ですな」
部下たち「罰金罰金、そりゃあ罰金対象!」(笑)
敵国用語の使用はダメなのはわかりますが、もう戦前から「チャンス」や「ルーズ」などの英語はかなり普及していたみたいです。考えてみれば「チャンス」という英語は日本語に訳しにくいので、そのまま使用していたのかもしれません。
加藤建夫(本人)。1942年初頭の南方戦線にて。豪胆で部下思い、茶目っ気のある人物だったようです。1903(明治36)年-1942(昭和17)年、享年38歳
■加藤建夫(ウィキペディア)
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