言語:日本語、公開:19404昭和19)年、製作国:日本、
時間:109分、監督:山本嘉次郎、出演者:藤田進、大河内伝次郎、志村喬、灰田勝彦
これは有名な映画ですが、加藤建夫中佐率いる陸軍飛行第64戦隊、通称「加藤隼戦闘隊」は戦時中の昭和19年に製作されました。一式戦闘機、「隼」(はやぶさ)が主役となる実話を基にした映画で当時大ヒットしました。
話は昭和16年4月に加藤少佐が新鋭戦闘機、「隼」運用のため着任する場面から始まり、約1年後の昭和17年5月に英国機と交戦、被弾し戦死するところで幕を閉じます。
以下、劇中で印象に残ったエピソードを取り上げます。
「ワシは加藤建夫 タテオであるッ」
俳優は当時の戦争映画でおなじみの藤田進。陸軍では自分のことを「自分」と言いますが、彼は「ワシ」と言っていますね。陸軍でもごく内輪内では「私」とか、「自分」以外の一人称を使っていたようです。
部下に南国の巨大なミカンを振る舞う加藤隊長。ヒマな時はヨーロッパへ視察に行った時の話を部下にしていました。
加藤「あれはマカロニじゃない。穴の開いてないのはスパゲッティというのだが、大体スパゲッティというのは伊太利(イタリー)の名物だが、あれを食う時にはフォークの先にこう引っ掛けてクルクルッと巻いて食うのが通の食い方だそうだ」
どうやら戦前の日本にはマカロニはあっても、スパゲッティはまだ普及していなかったようです。
一式戦闘機「隼」。飛行機はすべて本物を使用しました。
陸軍機は地図が頼りの地文航法しか習わないと聞きます。地面が機内から見える場合はいいけれど、このように雲の上を飛行する場合はどうするのでしょうか?
でも加藤隊長は海軍のように天文航法にも精通していたようです。
加藤「・・・それは航法さえ確かならピタリと向こうへ着けるはずだ。航法なら俺に任せろ。月は朝になるまでにちょっと出る。それでメコン河かサルウィン河を捕まえる。月齢23までは自信がある」
月の位置を頼りに飛ぶのだから天文航法ですね。
撃墜された英軍機から捕虜を捕獲。戦時中に撮影したのに、どうやってイギリス人を雇ったのでしょうか?本物の捕虜を使ったのかも・・・。顔もアメリカ人じゃなくてイギリス人顔です。
中島飛行機が航続距離の長い戦闘機を開発、「隼」の愛称で親しまれる。
太平洋戦争初期は南方戦線などで連合国に対し優位を保ったが、中期になると武器の火力不足等が災いし、劣勢を強いられるようになった。