
戦艦大和建造の呉海軍工廠(こうしょう)四号船渠(せんきょ)。
■大和は往復燃料で出撃した
大和は沖縄特攻で片道燃料のみで出撃したと伝聞されているが、実際は往復分を給油されていた。なぜ事実とかい離した話となったのか、そのいきさつについて。
「(大和は)実際は、往復分に足りる燃料が補給された。補給業務担当の連合艦隊参謀、小林儀作中佐が『生還の算少なしとは言え、燃料は片道分しか渡さないと言うことは武人の情けにあらず』(『水交』、337号)と、呉鎮守の参謀に相談した。そしてタンクの底に溜まっている重油をかき集めて補給した。
その結果、大和の燃料は4,000トン、『矢矧』は満載の1,250トン、駆逐艦8隻もそれぞれ満載となり、いずれも沖縄本島との往復が可能となった。
小林らが捻出したのは帳簿外の燃料で、連合艦隊司令部は把握していない。小林は『予定の燃料搭載を完了した』と連合艦隊司令部に報告したため、軍令部と連合艦隊司令部は、艦隊が『片道燃料』で出撃したものと考えた」。
■下艦させられた少尉候補生とその後
「(4月6日の沖縄特攻)前日の夜には、3月末に兵学校を卒業したばかりの候補生44名と経理学校の主計候補生2名が大和に横付けした駆逐艦『花月』に降ろされています。彼らは、脚でまといになるからです。(中略)
伊藤長官は『連れて行っても邪魔になるだけだ。次の日本のために頑張ってくれ』と言いました。でも彼らはみんな泣いて、『お願いですから、連れて行ってください』と叫んでいましたね。
戦後、そのうちの一人に会いましたが『あの時、乗って行かないでよかった』とは言ってました。当然でしょうけど」。
大和から下船させられる少尉候補生たち(映画より)
■「死二方用意」
「気象班員の野呂昭二はそのころ、左舷艦橋下にあった連絡用の黒板に書かれていた落書きを覚えている。『総員死二方用意』。高角砲員の坪井の記憶は、やや異なる。黒板ではなく、主砲の砲塔に書かれていた、という。
いずれにせよ、彼らがそんな落書きを見たのは初めてだった。二人は異口同音に言う。『何の違和感もありませんでしたね。それが私たちの気分でした』」。
■沖縄特攻で大和の主砲は撃たれたのか
大和の沖縄特攻で、46センチ砲を撃ったかどうかは謎に包まれている。
「小林の回想によると、黒田砲術長は『艦長、主砲を撃たせてください』と懇願した。しかし有賀(艦長)は『撃つな!』と厳しく制した。だが実際は主砲を撃ってしまった、という。主砲射手の村田元輝、能村次郎副長も数発放ったと証言している。
だが『トップ』のすぐ下にいた測距員の八杉康夫は『一発も撃っていない』と断言する。『戦史家の方々が、レイテの時などと混同した生存者のお年寄りから聞き書きしたのでしょうか。私は最後の特攻でしか大和に乗っていませんから、よく覚えています』。『撃っていない』と証言する生還者は、ほかにも複数いる。
いずれにせよ、大和はその存在意味といえる46センチ砲をほとんど生かすことなく、東シナ海に沈んだ」。

大和の46センチ砲