対日参戦を偽装していたソ連 -佐藤優氏が語る昭和外交史 | 太平洋戦争史と心霊世界

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日ソ中立条約 
日ソ中立条約に署名する松岡洋右外相。中央にスターリン、その左がモロトフ。


  元外交官の佐藤優氏が語る、昭和史について抜粋しました。外交の視点から見た史実と、日ソ間の文化的ギャップを以下にご紹介します。


     はっぱ はっぱ          はっぱ はっぱ          はっぱ はっぱ


交渉の世界に完全に対等な立場はない。お互いに少しでも有利な立場を獲得するために交渉では虚々実々の駆け引きが行われる。

 

交渉術では、「交渉相手との信頼関係を維持することが、こちら側にとっても最終的に得だ」というようなことが言われるが、それは実は論理があべこべだ。交渉で得をするから、相手との信頼関係を維持するのである。小さいことでは約束を守り、信用させて、最後に一回大きく騙すというのはインテリジェンス交渉術ではよく使われる技法だ。

 

太平洋戦争末期のソ連を見てみよう。日本政府はソ連を通じて連合国と和平交渉を行おうとした。1941(昭和16)年413日、モスクワで松岡洋右外務大臣とモロトフ外務人民委員(大臣)が調印した日ソ中立条約は、有効期間は5年、満了一年前までに日ソのいずれかが廃棄を通告しない場合は、5年間自動更新されることになっていた。

 

194545日、ソ連は日本に中立条約を更新しないと伝えた。日本にとって戦局は守勢になり、客観的に見ればソ連が対日戦争の準備をしているのは明らかなのに、日本政府はその可能性はないと考えた。ソ連のインテリジェンス交渉術が巧みだったからだ。

 

モスクワでソ連外務省幹部の日本外交官に対する態度はていねいで、期限までには中立条約を守ると約束する。しかも、ソ連は5月にナチス・ドイツが降伏して、ベルリンに残された日本人の帰国を手助けした。(中略)

 

19454月、ソ連軍がベルリンに迫ると、大島浩大使(陸軍中将)をはじめとする大使館幹部はドイツ南部の温泉地へ逃げてしまった。

 

そして、当時の吉野外交官補(著者註*三等書記官の下の官職)を含む十数名の外交官とドイツ人職員が、決死隊としてベルリンの日本大使館の地下壕に籠もり、ソ連軍と遭遇する。吉野氏らは、ドイツだけではなくヨーロッパ各地からベルリンに参集した約150名の在留邦人を引率して、モスクワ経由で満州まで送り届けたのである。



ソ連軍捕虜となった日本兵  ソ連軍捕虜となった日本兵


このときソ連は、すでに対日参戦の腹を固めているのであるが、日本人の帰国に誠実に協力する。要するに在欧州日本人の帰国という小さな案件で日本人を信用させ、対日参戦という陰謀を隠したのだ。(中略)

 

私が吉野氏に、「当時の日本大使館員はソ連の対日参戦を予測していなかったのですか」と尋ねると、吉野氏はこう答えた。

 

「予測していなかったと思います。ソ連を通じて米英との和平工作を真剣にかんがえていたくらいですからねえ。私が覚えている中で、日本の外交官でソ連の対日参戦を予測していたのは、宮川船夫ハルビン総領事だけでした。あの人は外務省きってのソ連通だった。『近日中にソ連は参戦する』と断言しました。戦後、宮川さんはソ連に抑留され死亡したと聞いていますが、佐藤さん、何かご存知ですか」

 

 「スパイ容疑でモスクワの秘密警察の本部に連行され、ひどい扱いを受けたようです。病死ということになっていますが、ほんとうの死因はわかりません。モスクワ中心部のドンスコエ修道院付属墓地に宮川さんのお墓があります。私はモスクワに勤務している間、お盆のお墓参りを欠かしませんでした」

 

 吉野氏は「そうですか。モスクワで亡くなったんですか」とつぶやいた。

 

 東京の外務省本部では、東郷茂徳(しげのり)外務大臣を中心にソ連を仲介者とする和平工作を真剣に考えていた。モスクワでのソ連外務省の日本大使館に対する姿勢、ベルリンから帰還する日本人に対するソ連当局の厚遇から、ソ連は日ソ中立条約を遵守するのみならず、米英との仲介の労をとるようになると誤認していたのだ。

 

しかし、ソ連という国家とロシア人の裏表を知り尽くした宮川氏の眼は誤魔化せなかった。こういうロシア人の内在的論理を読み取ることができる外国人は有害なので、ソ連当局が、国際法を無視して、外交官である宮川氏を拘束し、地上から消してしまったのだと私は見ている。

 

ロシア人に言わせれば、騙す者が悪いのではなく、騙される者が間抜けなのである。このようなロシア式交渉術は、そのままインテリジェンス交渉術に採用できる。道徳や倫理に従って行動することは一般社会では善で、称賛される価値があるが、交渉術の世界ではそうではない。前章で述べたように、「交渉術は、善でも悪でもない、価値中立的な技法」だからだ。