
■一号艦と呼ばれた大和
「大和と武蔵はそれぞれ第一号艦、第二号艦と呼ばれることになるが、設計現場では、大和は無機的に『A-140』と呼ばれた。日本海軍で140番目に建造される戦艦という意味である」。
■大和の建造費
大和と武蔵の建造費は一隻あたり1億3,780万円、現在の貨幣価値に換算すると、一隻1,760億円といわれた。これは当時の国家予算の6%、二隻で12%を占めた。
■戦後も活用された大和の造船技術
「西島亮二(海軍技術大佐)は大和建造にあたって、『材料統制、器具統制、工数統制、工数管理』だけではなく、『早期艤装(ぎそう)、実物大模型の採用、ブロック建造法、溶接の多用など、革新的な生産方式』、を次々と本格的に導入した。
これらの近代的建造法や管理方式は『コストと短期建造が至上命題である戦後の商船建造にも用いられて、日本が造船世界一となる基盤を用意することになる』。
さらに発展して高層ビル建築にも活用された」。
■大和の見た目
「(大和の)第一印象を、川代は今も鮮明に覚えている。
『ぶかっこうだなあ。まるでタライだ』
真横から見ると大和はスマートだが、角度を変えて見ると、長さに対して横幅が広い。しかし大きさは想像以上。近くに停泊していた駆逐艦は、『タライの中のカエルのように小さく見えた』」。
■迷路のような艦内
「(大和に初めて乗艦して)顔あわせがおわったあと、身辺整理の時間をすこしもらい、それから上出班長の案内で艦内をみてまわった。これが『大和旅行』である。恒例行事であった。
艦内はとにかくひろい。みるものすべてがめずらしく新鮮だった。(中略)大和の内部はひろいだけではなく、迷路のように複雑にいりくんでいる。いまひとりで歩いたら絶対にもとの場所にもどれない。
戦闘がはじまり『配置ニツケ』の号令がかけられたとき、どっちにゆけばいいのかわからないようでは話しにならない。大和の構造を知ることが、われわれ新兵の最初の仕事だった」。
満州にあった大連大和ホテル
■「大和ホテル」の由来
「大和の食事はよかった上、他の船も羨ましがる、冷房完備。音楽会なども開かれる。そのため当時、満州国の奉天(現藩陽)にあった超一流ホテルになぞらえて、『大和ホテル』などと皮肉られた」。
■大和の46センチ砲の威力
「鶴身が参加したレイテ海戦で、大和は世界最大の46センチ砲を、敵艦に向けて初めて撃った。『グワァーンと、すごい音でね、自分の船がやられたのかと思いました』
これは別の生還者から聞いたのだが、至近弾が立ち上げる水柱も兵士にとっては脅威だった。確かに米軍が撮影した写真を見ると、至近弾の水柱が大和の艦橋よりはるか高く立ち上がっている。その柱が崩れるとき、乗員を海へと連れて行ってしまう、というのだ」。