空っぽの戦艦で出撃 【ジパング・25巻】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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 久々に『ジパング』を取り上げますが、このコミックを知らない方にもわかるような書き方をします。

 

 コミックの25巻で、戦艦大和出撃前に艦内の可燃物を撤去した部屋に、草加少佐がポツンと座っている場面があります。その後兵学校同期の滝中佐が来て水杯を交わしましたが、実際にそれが最期の別れとなりました。


可燃物撤去1 

草加少佐「さっぱりしたものだ。ベッドのマット、食卓、椅子、可燃物はすべて撤去」


可燃物撤去2  備品が撤去された大和の艦内にいる草加(左)と滝(右)。



 実際の史実でも昭和2042日か3日、戦艦大和の沖縄特攻前に艦内の可燃物は全て陸揚げされていました。これは火災防止のためで、士官用の椅子と机以外のすべての燃える物は撤去され、後にはガラーンとした空き部屋が残りました。

 

 しかしこの陸揚げのおかげで、現在も博物館に大和の司令長官の椅子などが残っているそうです。一人につき毛布一枚だけは支給されましたが、乗組員はこれで、「本当にもう、おしまいなんだ」と実感しました。

 

 全ての艦艇が出撃前に、このように備品を陸揚げしたのかどうかは定かではないのですが、戦艦大和では昭和1910月のレイテ沖海戦前にも、用度品を撤去して戦闘に臨んでいます。



酒盛り 

可燃物の撤去された兵員室で酒盛りをする兵たちと上官


 またレイテ沖海戦で旗艦であった、重巡「愛宕」(あたご)でも、衣類などを入れた「チスト」と呼ばれる、衣類入れなどの可燃物はシンガポールでほとんど陸揚げされ、あとには薄汚れた食卓と、長い腰かけだけが残されました。

 

 その食卓と腰かけさえも、出撃前日の飲み会で使われた後、出港当日の朝には全部陸揚げされ、艦に残ったのは人間と鉄の塊だけとなりました。現在の海自でも、万が一の戦闘の際は可燃物撤去となるのでしょうか。興味深いところです。