1943(昭和18)年に製作された映画、「決戦の大空へ」を見ていたら、靖国神社のある九段周辺の映像が出てきました。
そこで70年前の当時と現在では景色がどう違うのだろうと思い、靖国神社周辺の写真を撮影し比較してみました。 映画「決戦の大空へ」での昭和18年の海軍パレードの場面。
左手に映っているのは東京千代田区の北の丸公園にある田安門のようです。(赤い矢印)現在は公園になっていますが、昭和18年当時には周りは何もない広場になっていました。
北の丸公園は皇居、靖国神社に隣接しており、江戸城の北の丸の跡です。昔軍隊パレードをしていた空間は、今は植木や駐車場で占められ、東京オリンピック招致の白いのぼり(中央)がはためいていました。
靖国は社殿に行くまでに鳥居が三つありますが、軍楽隊がそのうち一番外側にある、最初の「社号標・大鳥居」をくぐったところです。鳥居の右側は修理中のようです。社殿を背に撮影した場面。
現在の「社号標・大鳥居」。石灯籠もちゃんとあります。遠景の低層の建物が、今は10何階建てのビルに代わっています。
最初の「社号標・大鳥居」をくぐった後、二番めの「青銅大鳥居」と、その背後にある屋根付きの「神門」と呼ばれる門をくぐろうとしています。
現在の「青銅大鳥居」と「神門」。その奥に靖国神社の社殿が見えています。70年経って人は変わっても、神社だけは変わってないようです。
靖国神社に参拝してきた後でしょうか。パレードが「神門」を出て帰るところ。
現在の神門。そっくりの構図で撮れましたが、右の工事の囲いがジャマです~。
社殿を背にして靖国神社から出ていく場面。前方の鳥居に重なって靖国神社の創始者・大村益次郎の像が小さく見えます。(赤い矢印)
中央に後ろ向きの大村益次郎像が写っています。
この銅像は1893(明治26)年に造られたので、戦前からあったものです。現在は参道を横切る形で車道が通っていますが(杭が打ってある箇所)、70年前はありませんでした。
大村益次郎は日本陸軍の創始者で、靖国神社の原型となった東京招魂社も創建しました。
1824(文政8)年-1869(明治2)年、享年45歳。
(左)靖国神社の大村益次郎の銅像、
(右)大村益次郎の脳内構造
やはり傑出した方は、容姿や頭の中身も人と違うようです。あまり悪ふざけすると大村ファンにどやされますので、この辺で・・・。(^_^;)
注)上の加工画像はネット上から拝借した物です。