
日米戦争は1941(昭和16)年12月8日、日本の真珠湾奇襲から始まりましたが、翌年のミッドウェー海戦で米軍が勝利するまで、アメリカはちょうど半年間、戦争で日本より劣勢状態に置かれていました。
なぜ日本より遥かに物資に勝るアメリカが、これほど緒戦で負けていたのでしょうか。それは米国の戦争に対する準備不足にありました。
実は米国の歴史を見ても、独立戦争、メキシコ戦争、南北戦争、米西戦争と、アメリカは戦争が勃発するたび、常に準備不足を繰り返してきました。第一次世界大戦において、米国は1917年に欧州参戦しましたが、ここでも前線で米軍兵士は物資不足に悩まされました。
第一次大戦に参加したマーシャル陸軍少佐(のちに元帥)は、1923年6月にその準備不足の様子を、次のように演説で述べています。
「(第一次大戦中)私は、第一師団の兵士としてそこにいました。靴もなく、足を麻布で包んで氷や雪の上を10キロ、15キロと行軍したのです。・・・私は、第一師団のたくさんの馬が飢えで地面に倒れるのを見ました。あまりに多いので、私たちは行軍を中止しなければならなかったのでした。」
日米戦争でもそれは繰り返され、真珠湾攻撃後、米軍はフィリピンのバターン半島を日本軍に占領され、米国での作戦準備が整うまでの時間稼ぎとして、アメリカ兵が犠牲となりました。
第二次大戦前夜の米軍の準備不足・資金不足は甚だしいもので、訓練でも兵士に銃がいきわたらず、木製ライフルを代わりに使ってしのいでいました。
従って第一次大戦と第二次大戦でのアメリカの戦争計画は、まず一時的に持久戦を展開して戦闘準備に必要な時間を確保する。次に攻勢に転じて敵の軍事力を撃破し、勝利をおさめるという戦略となっていました。
ではなぜ、準備不足のパターンが何度も繰り返されたのでしょうか。それはアメリカでは戦争を開始する決定権は、大統領ではなく議会が握っているためです。米大統領は軍隊を動かす指揮権のみを保持しています。(注1)
注1)日米戦争は米国議会による宣戦布告で開始されたが、アメリカの戦争は実際には大統領独断で始められることもあった。その反省を踏まえ1973年、大統領の戦争権限を抑える戦時権限法が制定された。
議会での上院・下院議員は国民によって選出されるので、米国民は日本国民以上に、戦争を開始するかどうかの強い決定権を持っていることになります。
【日本】 国民が国会議員を選出 ⇒ 国会議員が首相を選出 ⇒ 首相が戦争開始を決定する(日本国憲法下)
【米国】 国民が国会議員を選出 ⇒ 国会議員が戦争開始を決定する ⇒ 大統領が軍隊の指揮を執る
前述したマーシャル陸軍少佐は、戦争が終わるたびに何故このような事態が起こるのかを繰り返し警告してきました。
「人々の心が、戦争の悲劇とその理由を忘れてしまい、あとに残った財政的負担の大きさと、それを早く減らそうとする強迫観念にとりつかれるからです。準備不足の苦い教訓をほとんどすぐに忘れてしまい、彼らの代表者たちが、きわめて明確な根拠もって増額した軍事費の削減を要求し、実現するのです」
米国では日本以上に国民の声が、戦争の在り方にも大きく反映されます。ところがその代わり戦争が終わると、国民の要請により必要以上の軍事費削減に走ってしまい、突然戦争が勃発すると、準備不足でそれに翻弄されるというパターンを踏んできました。
第二次大戦が開始された1939(昭和14)年に、米国参戦を支持する国民はたったの2.5%でしたから、いかに米国民が戦争にたいし消極的であったかを示しています。そのため軍事費も増やせず、戦争準備もそれだけ遅れたという事態が、アメリカが戦争緒戦で敗退し、しばらく反撃できなかった真相でした。