帝国軍人の身長 【後編】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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「飛龍」上で 


   前回は、戦前の日本人男性の平均身長は
155cmだったらしいという話を取り上げました。

 

 海軍軍人は格好が良かったという伝聞が残っていますが、文献を調べるとその評判にたがわず、海軍では平均身長以上の大柄な軍人が目につきます。

 

 以下に判明した海軍軍人や政治家の身長を年代順に並べてみました。


●海軍軍人、政治家

・東郷平八郎153cm1847(弘化4)年生、
日露戦争での連合艦隊司令長官


・小村寿太郎143cm、又は156cm1855(安政2)年生、

明治の外交官、外務大臣


・野村吉三郎177cm1877(明治10)年生、駐米大使

 

・米内光政180cm1880(明治13)年生、
海軍大臣、総理大臣

 

・山本五十六158160cm1884(明治17)年生、
連合艦隊司令長官

 

・伊藤整一180cm1890(明治23)年生、
大和特攻時の司令長官

 

・近衛文麿180cm1891(明治24 )年生、
総理大臣、政治家

 

・工藤俊作185cm1901(明治34)年生、
敵兵救助の「雷」艦長

 

・ある海軍少佐157.5 cm1915(大正4)年生 

 

・豊田譲・海軍中尉162cm1920(大正9)年生、戦記作家

 

・ある海軍兵曹172cm1923(大正12)年生

 

・臼淵磐(うすぶち・いわお)163cm1923(大正12)年生、大和特攻に出撃、戦艦大和のガンルーム室長



 このように、当時の平均身長より大分長身の軍人が多かったように見えます。しかし長身者の記録が多く残っているということは、当時としては珍しく大柄で目立ったためとも言えるのではないでしょうか。

 

 次に残された写真で要人の身長の検証をしてみます。


 米内光政と近衛文麿 

左に米内光政(180cm)、中央に近衛文麿(180cm

 

 近衛と米内は身長が同じですが、写真で見ると幾らか近衛文麿の方が高く見える気もします。



米内光政と山本五十六 

左が米内光政(180cm)、右が山本五十六(158160cm


  この身長差だと、米内光政が180cmあるようには見えませんね。山本五十六が160cmだとしたら、この差では米内が170175cmくらいにしか見えないです。

 

もしかして加齢のため、米内さんの身長が縮んだのでしょうか?まさか山本長官が上げ底靴を履いているわけではないですよね。 同じ身長の近衛文麿と比べても、どうも米内さんは180cmもなかったような気がするのですが・・・。

 

 最後に1900年(明治33)年の義和団事件の際に、身長順に整列した8カ国連合軍です。日本兵は一番右端にいます。


8か国連合軍 

  左から英、米、露、印、独、仏、墺、伊、となっています。インドはターバンで盛りすぎ。