工藤俊作 -敵兵422名を救助した海軍中佐(4) | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


海軍少尉の頃の工藤俊作 

海軍少尉の頃の工藤俊作



 前回にひき続き、駆逐艦「雷」が英国兵を救助している状況からです。

 

 「『雷』の乗組員の胸を打ったのは次のような光景であった。

 

 浮遊木材にしがみついていた重症者が、最期の力を振り絞って『雷』の舷側に泳ぎ着く光景であった。彼らはロープを握る力もないため、取りあえず『雷』の乗組員が支える竹竿を垂直に降ろし、これに抱きつかせて内火艇で救助しようとした。



竹竿
 



 ところが、そのほとんどは竹竿に触れるや、安堵したのか、次々と力尽きて水面下に静かに沈んでいくのだった。

 

 日頃、艦内のいじめ役とされていた猛者たちも涙声となり、声をからして『頑張れ!』、『頑張れ!』、と甲板上から連呼するようになる。」

 

 「この光景を見かねて二番砲塔の斉藤光一一等水兵(秋田県出身)が、独断で飛び込み、立ち泳ぎをしながら重症英兵の身体や腕にロープを巻き始めた。

 

 先任下士官が『こら、命令違反だぞ!海中に飛び降りるな』と怒号を発したが、これに続いて二人がまた飛び込んだ。」

 

 「もう、ここまで来れば敵も味方もなかった。まして海軍軍人というのは、敵と戦う以前に、日頃狭い艦内で昼夜自然と戦っている。

 

 この思いから、国籍を超えた独特の同胞意識が芽生えたのであろう。日本海軍を恐れていた英国将兵も、残った体力のすべてを出して『雷』乗員にすがった。甲板上には負傷した英兵が横たわり、『雷』の乗組員の腕に抱かれて息を引きとる者もいた。」

 

 フォール卿も次のように回想しています。



フォール卿
 

駆逐艦「雷」に救出されたフォール卿。


 

 「私は、当初、日本人というのは、野蛮で非人情、あたかもアッチラ部族かジンギスハンのようだと思っていました。『雷』を発見した時、機銃掃射を受けていよいよ最期を迎えるかとさえ思っていました。ところが、『雷』の砲は一切自分たちに向けられず、救助艇が降ろされ、救助活動に入ったのです。」

 

 「(日本兵は)木綿のウエス(ボロ布)と、アルコールをもってきてわれわれの身体に付いた油を拭き取ってくれました。しっかりと、しかも優しく。それは思いもよらなかったことだったのです。友情溢れる歓迎でした。

 

 私は緑色のシャツ、カーキ色の半ズボンと、運動靴を支給されました。これが終わって、甲板中央の広い処へ案内され、丁重に籐椅子を差し出され、熱いミルク、ビール、ビスケットの接待を受けました。」