報道写真の検閲 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。



 戦時中の報道には記事はもちろん、報道写真にも規制があり、それによって種々の掲載の許可・不許可が定められていました。

 

 一例として検閲は以下の写真のように規定されていました。


高級将校  フィリピン前線の本間司令官。高級将校の写真は原則として不許可。


戦災地  1942(昭和17)年418日、米軍ドゥーリットル攻撃による東京初空襲の現場。戦災地の写真は全部不許可になった。


戦車部隊  フィリピン戦線バターン半島サマット山麓で歩兵舞台に協力中の戦車部隊。戦車砲の口径や砲身長が機密扱いだったため「保留」と書いてある。


大型発動艇  1944(昭和19)年29日、ジョホール水道を越えてシンガポールへ向かう部隊。大型発動艇が機密のため掲載不許可。


海軍落下傘部隊  海軍落下傘部隊だが「この写真はダメ」と記されている。上空の落下傘部隊と地上部隊の演習写真を合成した写真だったため不許可となった。