戦時中の報道には記事はもちろん、報道写真にも規制があり、それによって種々の掲載の許可・不許可が定められていました。
一例として検閲は以下の写真のように規定されていました。
フィリピン前線の本間司令官。高級将校の写真は原則として不許可。
1942(昭和17)年4月18日、米軍ドゥーリットル攻撃による東京初空襲の現場。戦災地の写真は全部不許可になった。
フィリピン戦線バターン半島サマット山麓で歩兵舞台に協力中の戦車部隊。戦車砲の口径や砲身長が機密扱いだったため「保留」と書いてある。
1944(昭和19)年2月9日、ジョホール水道を越えてシンガポールへ向かう部隊。大型発動艇が機密のため掲載不許可。
海軍落下傘部隊だが「この写真はダメ」と記されている。上空の落下傘部隊と地上部隊の演習写真を合成した写真だったため不許可となった。