戦争での殺人は許されるか 【後編・ シルバーバーチ】 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


バラの花束 


 前日の「動機」をテーマとする内容の続きです。ではシルバーバーチは、人間同士が戦うこと自体はどう捉えているのでしょうか。

 

質問:「戦うことは正しいことだと思いますか」

 

シルバーバーチ:「私はつねづねたった一つのことをお教えしております。

 動機は何かということが一ばん大切だということです。そうすることが誰かのためになるのであれば、いかなる分野であろうと、良心が正しいと命じるままに実行なさることです。

 

私個人の気持ちとしては生命を奪い合う行為はあってほしくないと思います。生命は神のものだからです。

  しかし同時に私は、強い意志をもった人間を弱虫にするようなこと、勇気ある人間を卑劣な人間にするようなことは申し上げたくありません。すべからく自分の魂の中の最高の声に従って行動なさればよいのです。

 

ただし、殺し合うことが唯一の解決手段ではないことを忘れないでください。」

 

【解説】「殺し合いは絶対にいけない」という全員一律の価値基準ではなく、その人の霊的レベルや置かれた状況により、判断基準も相対的に変わってくるということです。

 

しかし殺人という行為は、そもそも自然の摂理(いわゆる神の教え)に違反していることにはご留意しておいてください。


軍人 

質問:「それでも、やはり人を殺すということがなぜ正当化されるのか、得心できません。」

 

シルバーバーチ:「必要とあれば――地上的な言い方をすれば――相手を殺す覚悟の人は、自分が殺されるかもしれないという危険をおかすのではないでしょうか。

 

どちらになるかは自分で選択できることではありません。相手を殺しても自分は絶対に殺されないと言える人はいないはずです。

 もしかしたら自らの手で自らを殺さねばならない事態になるかも知れないのです。」

 

【解説】戦場などいつ自分が殺されるかわからない状況にいる場合は、相手をやむなく殺したとしても正当防衛に当たり、罪にとがめられることはありません。

 

 

 以上のシルバーバーチの言葉に従うと、双方の相反する主張がそれぞれ正しいというケースも、次の会話のように成立します。

 

質問:「立派な兵士と真面目な不戦主義者とが共に正しいと言う事もあり得るのですね。」


 

シルバーバーチ:「その通りです。二人の動機は一体何かを考えればその答えが出ます。何事も動機がその人の霊的発達の程度の指標となります。」

 

質問:「でももちろんあなたは人を殺めるという事をよい事だとは思われないでしょう」

 

シルバーバーチ:「もちろんです。理想としては殺し合う事は間違った事です。ですが、前にも述べた事がありますように、地上世界では二つの悪い事の内の酷くない方を選ばざるを得ない事があるのです」


 

【解説】国のために命を懸けて戦う人と、人を殺すことを拒否し非戦を貫く人がいた場合、2人の価値観は両立するということです。

 シルバーバーチは別の場面で、戦争に行く者の方が、非戦を貫く人間よりも霊性が高い場合もありうると述べています。

 

 善悪を計る判断基準として、「動機」のほかに「道義心」(道徳心)もあります。

 これは後日ご紹介しますが、この2つが人生のあらゆる困難を解決するための判断基準になるというのが、シルバーバーチからのアドバイスです。

 

 

『シルバーバーチの霊訓』(5)、12章 参戦拒否は是か非か

『シルバーバーチの霊訓』(6)、8章 真理には無限の側面がある


キーワード:動機