イギリス人の見た帝国海軍 | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
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セシル・ブロック 

セシル・ブロック



イギリス人セシル・ブロックは、昭和7年から3年間海軍兵学校で英語教師をしており、その間に見た帝国海軍の感想を、著書「江田島」で述べています。

 

 

【日本の海軍士官の制服は質があまり良くない】

 

「日本の海軍士官の制服は、たいてい生地も仕立てもあまり良くない。イギリス海軍士官の制服とは違って正面に金ボタンもなく、また袖を飾る金線もない。むしろ安価で実用的な感じを与える服である。」

 

【解説】これは第一種軍装のことらしいです。イギリス人から見ると、とても地味に見えるらしい。確かに飾緒がないと少し殺風景かも・・。

 

「もっとも日本海軍士官の棒級は少ないので、高価な制服を着用することは不可能なのだ。」

 

【解説】帝国海軍士官は、自腹で軍服を仕立てなければいけないことを彼は知っていたのでしょう。

 

「しかし、服装が粗末だから日本の海軍士官が軍人としての能力に欠けると考えるとしたら、それは大きな間違いである。

 

イギリス海軍内では、立派な制服や奇麗な身繕いが軍人の士気に大きな影響を及ぼすと考えられている。

 

それ故、日本の軍人が世界中で最も優秀な軍人の部類へ入ることを知っているイギリスの軍人は、不釣り合いな制服や汚れた靴、無精ひげを生やした顔を見ると、皆一様に驚くのである。」

 

【解説】当時の写真を見ると、確かに軍服の質は良くないのかもしれません。中には生地に皺が寄りやすそうな、シワシワの第二種軍装を着ている人の写真も残っています。



第一種軍装 

第一種軍装



【日本の軍艦の乗り心地は良くない】

 

「日本の軍艦内では乗組員の居室は狭く、家具らしい家具はない。乗組員のために割り当てるべき空間を、戦闘装備を増すために使用しているからある。そのため乗組員が増加し、軍艦の上部が重くなりすぎて、全体のバランスが悪くなる恐れがある。

 

例として、1934年の暴風雨の中で駆逐艦が転覆した事故や、1935年の大型駆逐艦の25名の乗組員が暴風雨の中で行方不明になった事実が挙げられる。

 

1934年の夏に兵学校の教官たちが軍艦に乗って大規模な演習に参加したとき、彼らは疲れ切って兵学校に帰ってきた。

 

士官は演習中はほとんど休みなく艦橋で当直の任にあたり、激しく働かなければならないと話していたが、このことは居室の不自由さと関係があるのではないかと私は考えた。素人であるためその点を断言することはできないが・・」

 

【解説】これは、乗組員のストレスに悪影響を及ぼすのではないでしょうか。居住区が必要以上に居心地が悪ければ、当然それが知らずにストレスのはけ口として、下級兵いじめなどの原因となった可能性もあります。

 

 

【日本の軍艦は清潔でない】

 

 「日本の軍艦は、イギリスの軍艦ほど掃除が行き届いていない。なぜならば、日本の海軍当局が、必要以上に念を入れて艦内を掃除することは時間の浪費であり、そのような時間があれば、ほかにもっと重要な仕事ができると考えているのである。」